新しく就任された髙橋 浩紀同窓会会長にお話を伺いました!
コロナ禍での同窓会の活動について、今後の展望など、東京都立城東高等学校同窓会 (城友会)独自の取り組み方など、同窓会組織運営についての役立つ情報を余すところなくお話いただきました。
インタビューアはにほんの同窓会理事長の中村 充氏が努めています。
【にほんの同窓会】東京都立城東高等学校同窓会 (城友会).1
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【にほんの同窓会】東京都立城東高等学校同窓会 (城友会).6
今回のにほんの同窓会のインタビューは東京都立城東(じょうとう)高等学校城友会(じょうゆうかい)の玉村会長にお話を伺いました。
インタビューを受ける人:玉村 会長
インタビューをする人:中村 充(にほんの同窓会インタビューア)
中村:
にほんの同窓会では同窓会活動を活発に行っている同窓会を取材して、その影で働いている方々のご意見等をお伺いして他の同窓会の活動の活性化に役立てれば、と考えています。
本日は城東高等学校同窓会 城友会34期生までを輩出されましてずっと同窓会長をなさっている玉村会長にお話を伺いたいと思います。
玉村会長はずっと同窓会長を30年間…ですかね?
玉村会長:
まぁ、そうですね。
中村:
30年間同窓会長をされていまして1期生が出てからずっと同窓会報を作り続けておられるというとても活発で継続的に同窓活動をされているその辺のノウハウを…と言うか…想いと言うか…お聞かせ願えればな…と思います。
玉村会長:
どうぞ、宜しくお願い致します。私、2期生なんですよ。
中村:
あ、そうなんですか?
30年間の同窓会役員の活動を振り返って
玉村会長:
えぇ。1期生が卒業した時に、同窓会委員会と言うのが設立されて準備会と言うのが出来まして…
それは学校の先生が準備したんです。元々が…。多分、総務部かなんかで。うち、新設校で先生方がすごく力が入っていて、すぐ同窓会の組織を作ろうと先生が指揮を取って作ったのが最初になります。
最初は私達ではなくて、同窓会委員会…それか、評議委員会と言うのが出来ていて、その人達が中心になってどうゆう風に組織を作るのか、と言う準備会をしていました。
その時に、どうやって同窓会の役員を決めようか、とかそう言った準備を前の方々やっていてじゃあ、いよいよ評議会から同窓会の組織を作ろうと言ったときに会長をどう選ぶかと言う時に色々と内部で議論があったのです。
当初、学校が作った規則で同窓会というのが出来ていましたので卒業した時に幹事を選んでいてその幹事の中から役員とか会長を選ぶと言う事だったのです。
卒業した時の思いと、卒業したあと社会に出て行くと立場って全然変わってしまう。
だから、卒業した時はやろうと思っても社会人になったら全然出来ないって方が多くいらっしゃると思います。
中村:
そうですね。一般的ですね。
玉村会長:
そうですよね。それが最初は上手く組まれていなかったので、実は私がなる時に、実はその評議委員では無かったのです。なので、私は会長にはなれないはずだった。
中村:
あ、そうなんですか?
会長になるはずではなかったが・・・
玉村会長:
ところが、同窓会の皆さんで色んな方にお声がけをしたそうなのですが、1期生がことごとくダメで私は実は高校1年から生徒会の仕事をしていて、1年生の時の後期に生徒会長選に出て落っこちたと言う経験があり、2年生で前期後期と生徒会長になり結構有名人なんですね、僕。いろんな意味で。
だから、それやるんだったら玉村が良いだろうと、1期生の人が言い出してじゃあ、その為に会則をかえなきゃね、と、初めての総会はその会則を変えて僕が会長になれるようにすると言う所から始まったのですよ。
中村:
結構大変じゃなかったですか?皆嫌がっている中、会長と言う大任を受けよう、と言うのはどういう感じでしたか。
玉村会長:
大変かどうかがやっていないから分からない(笑)
例えば、高校で生徒会を何故やったのかと言うと、高校生の時に妄想の一種ですよ。生徒会の長なんですけど、生徒の会長のようなイメージがあってなんだか名誉職のような印象があってあの時、なっちゃんったんですよ。
実際は、生徒会は予算配分とか全然生徒の長ではない。同窓会もそう言った名誉的な事かと思って高校時代にそうやって活動した事を誰かが見てくれていて名誉職をもらえるなんて光栄な事だと思ってお引き受けいたしました。
中村:
大変な名誉職だと思うのですが実際に定期的に役員会をやったりとか総会をやったりとか、ましてや広報誌ですとか毎年編集していく…
それも仕事の合間にボランティアでやらなくてはいけないって言う…。
昔は宛名の管理も大変だったと思うのですが、30年以上前ですからね。そこらへんはどう言う…?
コンピューターが入るまでは会員の宛名は手書き・・・?
玉村会長:
いやぁ、もう辞めたかったです(笑)と、言うのは最初の同窓会…会報の作り方というのは、高校で校内報がありまして、校内報も積極的に出していた学校で、とにかく新設校で最初の校長先生がすごい気合を入れて文武両道でレベルの高い学校を作るのだと…
その想いが今も伝わっていて今も色々な支援校になっている、と思うんですが…その時の学校で作っていた校内報のノウハウをそのまま貰っていたからだから、後は記事は…
例えば、高校の近況を入れて校長の挨拶を入れて役員の挨拶を入れて…ぐらいのものしか無いですよね…。そう言うのを入れていたので作る事自体は難しい事ではなかったのですが問題なのは宛名管理ですよね…
最初にコンピューターが入ったのは出来てから10年ぐらい経ってから…
中村:
そうだと思いますね、30年前といったらWindowsがまだ出たばっかりでしたから…
玉村会長:
だから全部宛名は手書きしていました。
中村:
手書きですか?!
玉村会長:
はい。もちろん。手書きしかなかったじゃないですか?!あの時代って…(笑)
だから、会報が出ると、会報を作るのは大した事無いんだけど宛名を作らないといけないから裏の差出人くらいはスタンプでやったのかな…?表は一人一人書くしかないじゃないですか。
だから次で僕が会長をやって会報が出た時に、やる仕事というのが毎年の同窓会の委員さんに集まって貰って宛名書きをしてもらうと…。
中村:
それ、皆嫌がりませんでしたか?
玉村会長:
嫌がっちゃうから、すぐいなくなっちゃう…(笑)
だから…1回2回来て、大体終わり…しかもボランティアだったじゃないですか、そんな大変だとみんな思わないで、でも選ばれたから仕方なしに来るけど、もう、やるたびに人が減って行って…
と言うのを最初の10年くらいは繰り返しましたから、次の役員が一切育たなかったですね。
中村:
でも、宛名はどんどん増えていくわけですよね?
パソコン導入で革命的に作業が楽になった
玉村会長:
増えていくからすごい大変でした。だからパソコンを入れるようになったと言うのは革命的なことでした。
パソコンを入れたのはいつだろう…僕が大学に入った時はまだキーパンチャーをしていましたからね…
やっとIBMの5550シリーズが…僕が大学を卒業する年ぐらいに早稲田の電算室にディスプレイでパソコンが使えるって事で画期的でしたから…。
あの時、1期生のなかでマイクロソフトとかそっちのほうに入社した人がいたので、その人達がコンピューターのリテラシーを持っていたのでそれから何年かして同窓会でもコンピューターを入れようって話しになって…
5,6…10年弱ぐらいですかね、それぐらいになってコンピューター管理が出来るようになってそれで宛名を業者に持っていって…ですけど宛名シールを出すようになっても宛名貼りをしばらくしていました。
中村:
そうですよね。それは会長がされていたんですか?
玉村会長:
そうです、委員が集まらない時は皆で延々と…
中村:
現在は12,000名以上の会員がいるわけですから、皆があつまってやるってすごい作業ですよね…?
玉村会長:
すごい作業でした。
中村:
…と言うかボランティアでよくそこまでやってくださいましたね。
玉村会長:
だから全然いなくなったのと…後もう一つは同窓会って最初卒業した時って1期とか2期しかいないし、しかも学校が忙しかったり、就職が忙しかったりするので全然集まらないですよね…
中村:
まぁ、それどころじゃないですよね。
ボランティアに頼る同窓会活動の苦労は・・・
玉村会長:
…想像すれば分かると思うのですが、最初集まった、1回目か2回目にやった時、やっと集まって50人くらいでしたかね。その後も減っていって、場合によっては4,5人とか…年に1度総会をやらなきゃいけない事になってるから、それで集めると幹事よりも少ない。
役員が7,8人いるのに一般の人が4,5人しか集まらない、というのも結構多かった。だから毎回集めるのに苦労して…総会やるメンバーに苦労して、新しい委員にきてもらい続ける事に苦労して、というのでやってる間に実は私仕事の都合でちょっと遠いところに赴任した事があったのですよ。7年目くらいに、成田のほうに仕事で移動になって、それ以来なんにも(同窓会の事は)出来なくなってしまって…
中村:
あ、離れてたんですか?
玉村会長:
僕は会にも全然顔を出せないからもう会長を辞めているもんだと思っていたら僕がその後戻ってきたのが30歳くらいの時かな…戻ってきてもうやらなくて良いやと思っていたら「待ってた」と、言われたんですよ。
中村:
(玉村会長がいない)その間も会報とかは出ていたんですね?
玉村会長:
一応出てたんですよ。残ったメンバーでどうしてもって言う決済事項だけは僕に聞きに来た事はありましたけど…場合には成田まで僕のところに来て話をしに来た事もありましたけどもうひとつ、残った人達がすごい頑張ってくれていたんですよ。
中村:
そこで途切れちゃいそうな…普通ですとね…
玉村会長:
実は僕が会長をしていたんだけど1期の人が何人も役員をやってくれていたんですよ。だから1期の人の方が多いですよね。
中村:
会長がやってるから俺達もやらなきゃみたいな…?
玉村会長:
うーーん、と言うのでは無いけど、会長はやりたくないけど、同窓会は…だから学校を繋いでは行きたいと言う想いを持っていたんですよね、皆さんが。
それで繋いでいたのが、僕がまたこっちに戻って来た時に“やっぱりやってほしい”と言うことで、そのまま「会長」が外れていなかったので、こっちに戻ってきて会長活動を始めたと言う様なのでつないでいます。
同窓会会長を30年間やっていて一番大変だったことは・・・?
中村:
今後は同窓会の思いと言うのはどういったものになるのですかね?30年間もされてて、過去で一番大変だったとか、思い出と言うかこれからの思いと言うか…
玉村会長:
大変だった事は…まぁ、一番大変だったのは毎年の役員集めと毎年の総会…
まだ30年で、私が一番年上のほうで50歳じゃないですか…50歳まで来ないですね、同窓会って
中村:
大体ね、65歳越えないと役員とか同窓会って集まらないんですけど、その辺の人集めってどのようにされているのでしょうか。
玉村会長:
あのぉ…すごい集まらなかったのがほとんどです。だけど、集まる時がたまにあるんですよ。それって盛り上がった期があるんですよ。
卒業した年度が(一緒で)…すごい仲が良くて同窓会やとうとか盛り上がる期があって、その期を中心に集めると…100人くらいとか、何度かあったんですよ。
私達も色々と企画して、例えば今回は1期生と11期生と21期生の会にしよう、と言うような期会の事も考えてやってみたんですよ。全然上手くいかなくて…。
と、言うのも、それぞれの期にやっぱり役員がいないから、その期をまとめる人がいないんですよ。だから、僕達は声を掛けるだけで、その期が集まるわけではないんですよね。
色々と試した中で、例えば40歳を越えた人の会をやってみようと「Over 40」をやってみたら、そしたら4,50人くらいは、知っている人がいるかなぁ、と集まってくれた方がいらしたのですが、これをじゃあ、「Over 30」とか「Around 20」とかをやってみようと思うと、これが集まらない。
中村:
試行錯誤されているんですね。
玉村会長:
集める事が目的ではない事は無いんですけど、
中村:
人が集まらないと…
甲子園出場という盛り上がり
玉村会長:
そうなんですよ。それが今まで一番苦労した事なんですけど。ただ、その中でも盛り上がりがあったのは、やっぱり高校がその後、名前を上げてくれた事があったと思います。
うちの高校は知っている方もいらっしゃるかも知れませんが、都立高校で2番目に甲子園へ行ったところ。
おそらく唯一2回甲子園へ行った学校…1999年と2001年の2回、甲子園へ出ています。この甲子園では2つ話があって、一つはお金がかかる。皆で応援するのに。
中村:
大変なお金がかかりますよね。
玉村会長:
1000万円単位でかかるんですよ。その時に、みなさんご存知かもしれませんが、学校と言うのは卒業生の名簿は管理していないんですよね。
同窓会の名簿があったから初めて集める事が出来てその時にすごい皆さん盛り上がってその報告会を行ったら200人くらい集まってくれた事がありましたね。そういう風なイベントが重なってくれた事もひとつはラッキーでしたよねぇ。
中村:
でも、その甲子園で勝った時にちゃんと同窓会があってよかったですよね。
玉村会長:
そうですね、無ければ…地元なんかもすごい支援してくださったんですけど、それでも集まったお金の半分以上、何千万かは同窓会だけであつまりましたから
中村:
そうですよね、宛名の管理を手書きにしろ管理していたわけですから。
玉村会長:
その時は、やっぱりやっていて良かったな、と思いました。一瞬思いましたけど。
中村:
そう言うの無ければ…
同窓会の仕事は基本作業がメイン
玉村会長:
それ以外は爽快に感じることなんてないですよね、同窓会の仕事って…。なんか本当に作業しかない…。会報作って人集めて決裁やっての繰り返し。
上手く行かないというか、事務はきちんとやって当たり前、だけど人はもう基本的には集まらないから、いつもなんかストレスを感じている、みたいな感じですね。
中村:
よく、こちらで役員会を設けられているようですけど、あれ皆さんどうやって呼ぶんですかね?良く来てくださるな…と思うんですよね、皆さん忙しい中で…
玉村会長:
特に今、役員と言うのが近くと言うよりは少し離れている場所から来るようになったので、最低限、交通費的な活動補助は出しているんですよ。1回来たら2000円くらいですけど。
中村:
まぁ、それでも日当が出るほどではないですね…。
玉村会長:
勿論。卒業してすぐの方には魅力があるのでそれで卒業してすぐの方はそれでちょっとは集まるようにはなったんですけど。
それ以外は本当に責任感ですね。僕が2期で、1期の人が何人かと2期がいて、あと5期がいて、それ以降が18期、それから24,5期。それでやっと6人。その間とかその後の人とか、繋げていないんですよね。だから辞めたら無くなっちゃうんですよね、同窓会。無くなった時…、解散できないんですよ。同窓会って。
解散規定が無い同窓会という組織は・・・
中村:
解散規定ないですからね…。
玉村会長:
資産は毎年、卒業時に預かっているんですね。卒業時に終身と言う形で入会金みたいな形で出して貰って…。それで5000円位卒業の時に出して貰っているので、過去の分で言うと会報を出して入るけれど、出していない最初の4,5年分くらいは、お金が残っているわけですよ。そうすると、千万単位のお金があるんですよ。これを管理しなきゃいけないから、学校に戻すわけにもいかないし、だから責任感ですよ。卒業生が繋がる唯一の会になってしまったんで、学校にもう渡せないじゃないですか。
中村:
学校の方で卒業生の管理と言うのはしていないですからね。
玉村会長:
お金と情報の責任感と言うものに皆さんは責任をもってやってくれていますよね。だから、やりたいわけではないけれど携わってしまった以上は、守り続けてやっていかなくてはいけない使命を感じてやって行っていると言うのが今の役員ではないでしょうかね。
中村:
大変な名誉職ではあるけれど、仕事もあって忙しい中で同窓会の仕事をしてくださる…責任感と言ったら簡単かもしれませんが、僕は素晴らしいな、と思うのですね。
そういう方がいらっしゃるから会報もだせるし、同窓会とか同期会とかクラス会とかもね簡単に出来るんだろうなと思うのですがね。
中村:
会長のほうで今後はどうされたいと言うか、希望と言うか…
同窓会役員をやり続けるモチベーションは・・・
玉村会長:
あのぉ…、私達が責任感だけでやっているのではなくて、でもそろそろやっぱり卒業して20年、30年越えてくると、やっぱり卒業した高校と言うのは自分のベースと言うか基盤として何年かに一度は振り返りたくなってくる年なんではないかと思うんですよ。
そうするとこれからは例えば…私が2期ですけれども3期4期ぐらいの人が役員をやったら
1期ずつ下の人が段々とバトンタッチを出来るようにしていきたいですよね。
で、私達も同窓会は今まですごい頑張ってやってきましたけれども何年もモチベーションて持つものじゃないんですよ。
中村:
そこをちょっと聞きたいですね。
そこを伺いたいところで、やっぱり嫌になっちゃったりとか、仕事と重なっちゃっ足りとか色々…
玉村会長:
基本的に皆めちゃくちゃ忙しくなっちゃってるんで、その中は責任感が無いと続けられなかったですけど、一番きついのはモチベーションが保つのが難しいと言う事ですよね。
でも、期会とかやるとすごい積極的にやってくれる人っているじゃないですか。
あぁゆう人達のエネルギーをこれからしっかりと入れて、モチベーションがしっかりと維持できるようにしていきたいんですよ。
ただその時に、問題となるのが1期2期と言う、まぁ社会的に責任のある人がやるのはまだ良いんですよね。
でも、ご存知の様に情報を1万件は持っているわけじゃないですか。
それからお金もそれなりのお金があるわけじゃないですか、これがいい加減な人に引き継いでしまうと…
中村:
そうですよね…
玉村会長:
これは誰も担保が出来ないと言うのが一番大きな問題ですよね。
今までその中でも一番悩んできたのが情報管理の事でした。特に個人情報保護法が出た時あたりが一番まずいな…と
それまでは名簿とも発行していたんですが、そこから名簿も発行するのは一切止めて、
今は期会をやる時にある程度一定の手続きをして間違いなくこの期の人だと言うのが分かったら
データではなくプリントアウトした紙でしか渡さない…と言うような少しでもデータ的に外に出ない様な、一生懸命やってはいるですけど、難しいですよね、これ。管理し続ける事って。
中村:
そうですね。
その個人情報保護とね、皆さん、同窓会の為に利用もしないといけない…
玉村会長:
利用もしなければダメだし、だけど出てしまった情報と言うのは一人歩きをしてしまうから、
本当の理想と言うのは期会をやりたければ、その期の人に同窓会を通じてその期の方々に呼びかけが出来ると…。
でも、それはコストがかかるからそのコストを貰いながらやればいいのですが、その作業をやるほどのマンパワーが当然無かったので
それが、(現在行っている)作業があるから、本来の理想的なことが出来ずに、しかも、手続きが煩雑だからなかなか期会(に参加する人を)の集める為の名簿提供も出来ず、その為のこっちが作業する時間も…
すぐ、来月期会がありますよって言われても来月までに間に合わないんですよ、こっちの作業が。
どう考えてもひと月、ふた月かかってしまうから…。それでサポートが出来なかったのが辛かったですね。
だから、個人情報を守りつつ提供する必要なところにそれを活用すると言うこのジレンマを上手くできる方法がないかな…と言う事が悩んでいた事です。
それがそうゆう様な、僕達だけがやっている事の限界を感じてきた事がありましたね。
同窓会会長を30年続けるというのは稀なケース
中村:
それじゃあ、同窓会長を30年以上続けられたと言うのも、あまり他では無いケースだと思うのですが…
玉村会長:
同窓会がそんなに早く発足していないんですよね。
中村:
そうですし、途中で何年かしたら(会長や役員を)降りちゃう…任期で降りてしまうというのはモチベーションが続かない…、
さっきもおっしゃっていましたが、2年はやるけど、ずっと継続して何十年も(同窓会の会長を)されていると言うのは、記録的だと思うのですけれど、今後ももう少し記録を更新して貰いたいな…と
玉村会長:
いや、もうそろそろ離れたいんですけど…。笑
離れたいんですけれど、これって言うのは離れれば良いと言うわけでもない。築いた物を壊して離れると言うのは一番怖い事だと思うのです。
ここまでやってきたが故に…
中村:
そうですね、積み重ねてきたものがありますからね…
玉村会長:
ここまでいい加減にやってきたなら適当に任せていけば良いんですけれどこれが誰かに代替わりをしてお金を
どこかに行っちゃったとかね、それはどうやったら守っていけるんだろうと言うところが今一番悩ましいところ。
中村:
人材…誰を選ぶかって話しになってきちゃうのでね。
会の仕組みもあるでしょうけど…
玉村会長:
僕達が選ぶわけではないので…
会的には選挙で選ぶわけなので、だからそこに来た人ならいつでも来る事ができるんですけれど、その為には僕達が繋いでいかなくてはいけないな…と思っています。
繋いでいくにしても、そうゆう作業とかいっぱいある中で、その“繋ぐ”と言う準備も出来なかったので、
そこらへんですね、こうゆうサポートとか、サービスとかすごい求めていたところですね。
中村:
一般的にまだ30周年を越えたぐらいの同窓会というのは、やっとそこから立ち上がるようなところが多いんですね。全国的に…。
実際に30年間ずっと(同窓会として)活動されてきた方があまりいらっしゃらなくて、逆に高等学校だけでも5000校くらいあるのですがねぇ、そうゆう同窓会の役員さんとかにメッセージとか…大先輩の会長からいただければと…
玉村会長:
あのぉ、これって同窓会の組織って非常にセンシティブな存在だと思うんですよ。学校の名前も背負っているんですよ。学校の名前を背負っているんだけれども外部組織と言う非常に複雑な存在で…
中村:
位置づけがね…
玉村会長:
で、前は一律入会も出来たけれど今は一律入会はPTAなんかもそうですが、都では出来ない事になっていて、全部、本人の承諾、意思確認をしなくては入れなくなって、
そこらへんが非常に難しくなっているところなんですけれどただ、人間として学校と繋がる事は出来るんですよ。
私なんかが、特に私が続けなくてはいけない責任感をどこに持っているかと言うと、今の学校の例えば学校組織、教職員の皆さんとずっと繋がっています。
毎年、卒業式、入学式行っていますので。
それからPTAの役員の方々ですよね。そちらの、総会とか懇親会とかにも顔を出すようにしている。
ですから、PTAなんかは代わって行っても、それでもPTAとの関わりもあります。
あと、PTAのOB会があるんですよ。
そのOB会ともずっと顔つなぎをしていってるんですよ。
だから、うちがもし続いた理由が一つあるならば、そうゆう風にちゃんと人間として繋がってきた。
学校と人間として繋がってきて、PTAと繋がってきて、周縁の団体…後は町会とも繋がっています。
それが一番大きかったのかな…とも思いますよね。
中村:
なるほど…
モチベーションだけで続けられるものではない
玉村会長:
だからモチベーションだけでは続かないです。
やっぱり絶対、責任感は僕は必要だと思います。
その責任感と言うのは学校と繋がって行って、学校の名を背負っていき、そして学校を応援したいと言う思いの責任感をいかに持ち続けるかと言う、そうゆう皆さんとお話をしていく事で
すごい同窓会に頼られる部分とか同窓会しか出来ない事がだいぶ出てくるんですね。
それをやっている時に、使命感と言うのも少し喜びになってくるかもしれない。
中村:
人間関係を繋いでおくって言うのは素晴らしいお話だと思ったんですけど。
玉村会長:
これは最初の数年は難しいんですよ。
生徒と先生の関係だから。今は卒業して30年だからやっと生徒と先生の関係を離脱している
んですよ。
中村:
同窓会長としてですからね
玉村会長:
だから(同窓会が)出来てすぐのところで上手くできないのは生徒と先生の関係を上手く離脱できない
からだと思います。
最終的にはヒューマンスキルが重要
中村:
人間関係を繋ぐと言うのは会長のヒューマンスキルと言うか、人間力と言うのもかなり必要になってくるんですよね。
玉村会長:
逆にそうゆうお付き合いの中から私達も学ばせていただいているんですよ、
社会を。
「学校」と言う社会。「地域共同体」的な社会、コミュニティーと言うものを学ぶすごい場でもあるんですよね、同窓会と言うのは。
中村:
なるほど
玉村会長:
地域の人とも関係性があるわけではないですか、地域の方…ここだと大島3丁目町会とか2丁目町会とか、そういったところの町会長さんと長年付き合っているわけですよね。
これって言うのは本来、地元にいて60代、70代じゃないとなかなかそう言ったお付き合いと言うのが無いものが学べる。
卒業してからも学ぶ事ができると言うのは是非、大きな期会として捉えて頂いたらいいのではないかなと思います。
中村:
さすが…そうですね。ご自身が学べる場であると
玉村会長:
そうですね。それが最大の利益だと思います。
中村:
本日は大変素晴らしいお話をお聞かせくださいましてありがとうございます。
城東高校同窓会玉村会長にお話を伺いました。
何か、最後にあれば…、よろしいですか…?
玉村会長:
はい。
同窓会を続けていくと言うのは、本当に大変な仕事だと思いますけれど、私がすごい嬉しくなるのは
参加した皆さんとか同窓会報が届いた皆さんから「本当にずっと続けてくれてありがとう」と言う言葉を頂きます。
この「ありがとう」と言う言葉を裏切りたくないな…と言う思いでずっとやってきました。
皆さんもそのような言葉を是非貰っていただいて、それをエネルギーとしていただいて頑張っていただけると良いと思います。
どうぞ頑張ってください。
二人:
本日はどうもありがとうございました。