100年、歩いてきた。歩いていく。
中村 充:千葉明徳高等学校に伺っております。本日お忙しい中、福中理事長と同窓会の荒木会長のお話を聞かせていただきたいと思います。本日はどうぞよろしくお願いします。お忙しいところありがとうございます。光栄です。まずは高等学校の紹介をお願いします。
福中 儀明:皆さん、こんにちは。学校法人千葉明徳学園理事長をしております福中と申します。本校ができましたのはちょうど99年前、大正の終わりの年が大正14年なんですけども、その1925年の創立で、来年2025年にちょうど創立100周年を迎えます。本校は県内最初の私立の高等女学校で、千葉淑徳高等女学校という名前でした。それを戦後に明徳と名前を変えて、その後、男子を入れるようになって中学もつくり、今は中学・高校を共学でやっております。
2025年に100周年を迎えての取り組み
中村 充:会報を見ると、同窓会の名称が淑明会になっているのは、そういう意味なんですね。100周年というのは大変な事業で歴史もいろいろあると思うんですけども、100周年に向けてはどのようなことをお考えなんでしょうか。
福中 儀明:100周年記念事業はやる予定です。話すと長くなるんですけども、簡単に申し上げまして、一つはバリアフリー化とそれに伴う校舎の改築、それからグリーン化としての第2グラウンドの開発。これを主に企画しております。
中村 充:グリーン化に伴うグラウンドというのは?
福中 儀明:ここは千葉市の南の郊外に近いところにあるんですけども、そのすぐそばにまだ開発されていない広大な山林があり、その山林の緑を守りたいと、私はもう20年ぐらい前から思っていたんですよ。周りがどんどん開発されていって、緑がなくなっていっているわけです。それを少し守りたいなと。どうやったらいいかなということを、いろいろ近くの山林の中を歩きながら構想していたんですけれども、どんどんごみが捨てられてくるんです。いつの間にか車が捨てられて冷蔵庫や洗濯機などと粗大ごみ捨て場になって、このままでは本当のごみ捨て場になっちゃうんじゃないか。それを何とか守らなきゃいけないだろうと考えて、ごみ捨て場になりつつある緑をうちが手に入れるしかないだろうというところから始まったわけです。
中村 充:現在も大きな広いグラウンドがあるじゃないですか。それでまたグラウンドを開発されるのはなぜかなと思ったら、そのもとはそういうことなんですね。狭いわけではないですよね。立派なグランドがございますから。
福中 儀明:野球場とサッカー場は別々にあるし、テニスコートも数面ありますけども、ただ、生徒の数が多いので、グラウンドはもっと広くあったほうがいいんです。野球部だけで生徒は3学年合わせて100人近くいるし、サッカー部もそれくらいいるし、ひとつのグラウンドの中でやるには大変なものですから。もう一つ新たなグラウンドがあった方がいい。
中村 充:まあそうでしょうけども、もともとはグリーン化というのが最初の発想ですね。次に淑明会、同窓会の会長ですが?
荒木 由光:そうですね。私で4代目でございますね。
中村 充:もう何年されているんですか?
荒木 由光:20年にはならないと思います。
同窓会の会長になったキッカケとは?
中村 充:この同窓会長をされるきっかけというのは、どのようなきっかけで?
荒木 由光:初代、2代目、3代目の同窓会会長は女性の方だったのです。
荒木 由光:同窓会報38号に写っている真ん中の女性は、前会長の森勝子氏で、彼女が100歳になった記念に、理事長と二人で100本のバラをお届し、その時の写真を会報に掲載しました。
中村 充:まだご存命なんですね。
荒木 由光:お元気で、バラの花をお届けした際もそうですし、毎回ちゃんと直筆のお礼の手紙をいただきます。
中村 充:会長さんは一代がけっこう長くされているってことですよね。100年で4代目、一人が約20年務めていらっしゃるのですか?
荒木 由光:そうですね。私、今現職で思うんですが、同窓会の会長として、入学式や卒業式などの行事にも全部顔を出し務めております。そういうことがちゃんとできる後継者がいれば、やはり時期が来れば、もう交代じゃないかなというふうに思っております。ただ、男子部2期生として入学し、福中理事長と同級生だったもんですから、100周年という一つの節目を迎えるにあたり、頑張っております。
理事長と同期の同窓会会長の不思議なご縁
中村 充:理事長と同期ということなんですね。
荒木 由光:そうなんです。不思議ですよね。不思議と言えば先代の理事長とうちの亡くなった父親もお付き合いがあったんです。
ですから、実はこの学校を受けるということになった時に、「なにお前、福中校長先生のところに入るのか」って言われて、先代の理事長とうちの父親は千葉の自動車教習所での縁があり、うちの親父はわりと盆暮れの挨拶や年賀状を出しており、それを私が代筆していたという縁がありました。
不思議な縁ですよね。先代の理事長は、男子の髪の毛を全部坊主にしろとか、男子の学生服を黒ではなく女子と同じグリーンにしろとか、いろんな声を挙げられ、それに対して私は理事長に直談判じゃないですけど、「理事長、絶対帽子を被るよう守らせるので、何とか坊主頭だけは!」と言ったら、「わかった、では、君が言うなら一つそのように頼むよ」って言われたこともありました。千葉市の記念大会があった時も出させてもらったり、よくいろいろめんどみていただいたものですから、「同窓会を手伝ってくれ」と言われた時、二つ返事でお受けしました。
それから同窓会のほうをやらせていただいて、自分でも事業をやってますから、けっこう出られないなということはあったんですけども、やりくりしてやってきました。今、事業は息子や他の社員なんかも一生懸命やってくれてますから、例えば急に同窓会のスケジュールが入っても「行ってくるから」ということで出られます。やっぱり動けなければ全然意味ないですから。
中村 充:御商売は何をされていらっしゃるのですか?
荒木 由光:葬祭関係です。それに加え、八街商工会議所の副会頭をしております。
中村 充:会長は、同窓会活動の理想形とはどのようにお考えですか?
荒木 由光:まず先代から発行するようになった淑明会報ですね。
中村 充:38号ということは、1年に一回で38年間ということになりますね。
38年間継続している会報誌・淑明会報
荒木 由光:会報にある『淑明会』の字は、先代の森会長に書いていただいたものなんですけれども、この同窓会報を絶やさずにちゃんと発行するということです。
中村 充:卒業生が3万数千人もいらっしゃるのであれば、会報が届かない方もいらっしゃると思うので、またネットを通して学校のほうに欲しいと言ってくれれば、卒業生だったら送っていただけますよね、当然。発送数にも限界があるでしょうから。毎年欲しいよ、100周年に向けての通知が欲しいよ、という方は、ぜひ学校のほうにメールなり、なんなりいただければと思います。卒業生の方々には、ぜひ100周年も応援していただきたいと考えていらっしゃいますよね。
荒木 由光:100年というと、凄いことなんですよね。あと1年しかありませんから、どういう風にして100周年の記念式典を成功させるかということと同時に、今、理事長がお話しされたような100周年を迎えてのいろんな構想をぜひやり遂げられるように、最後の自分のご奉公かなというふうに思っております。100周年記念事業実行委員長をお受けしたものですから、何とか失敗しないできちっとやっていきたいなというふうに思っています。
中村 充:はい、100周年事業はさきほど、グリーン化とかバリアフリーみたいなものをお伺いしましたが、その進捗状況はいかがでしょうか?
荒木 由光:順調にいっているのではないかなと思いますね。
100周年事業の取り組み/バリアフリー化と校舎の改築・グリーン化して第2グラウンドの開発
福中 儀明:第2グラウンドの土地を手に入れるのは、もう話が全部ついています。
中村 充:どのくらいの土地なんですか?
福中 儀明:9万平方メートル。本学園の現キャンパスは9万5,000万平方メートルですから、それと同じぐらいの面積になります。
福中 儀明:あと学校の中のバリアフリー化でいろいろ建物改修するわけですけれども、例えばエレベーターを後付けで付けるということですが、それについては今設計をしている段階で、2年後には完成させたい。
中村 充:バリアフリーを使わなきゃいけないような人、今はいらっしゃらんですか?
福中 儀明:車椅子を使用する生徒というのは何年かに一度ぐらい入ってくるんです。階段に車椅子を設置して斜めに上がるような装置はあるんですが、やはりそれでは不便ですから、バリアフリー化を図りたいです。
中村 充:本格的にということはすごいですね。エレベーターをつけるといっても、けっこう高いですよね。メンテナンスとかいろいろ。今後の学校の抱負なんかも理事長のほうからお伺いできればと思います。
今後の学校の方向性について
福中 儀明:まあ理事長の役目というのは一言で言うとふたつあるんです。ひとつが学園の教育理念、その学校、私立学校なりの教育理念がありますから、それを指し示すこと、こっちの方向に行くぞというのを指し示すこと。もう一つは財政の問題ですね。財政に責任を持つこと、これがまた大変なんですけどね。その二点があるんじゃないかなと思っております。以前、財政はなかなか苦しかったんですけど、最近ようやく借入金が減ってきています。
中村 充:生徒さんが増え、人気が出てきたということですか?
福中 儀明:そうですね。生徒がたくさん来れば財政にいい影響が出ますから。
中村 充:こちらに来る時にヤマザキショップ、コンビニが入ってたりとか、私立の高校だからこういうのもあり、生徒さんに人気が出ているということですね。いまの中学生とかに直接PRしてもいいと感じますけど。校風とか理念をですね。
明徳学園の建学の理念
福中 儀明:明徳を天下に明らかにせんとする者は、その知を致す。というのが建学の理念ということになっておりましてね、今から2000年前に書かれた中国の古典『大学』という名前の本があるんですけれども、その大学というのは高校の次に行く大学じゃなくて大きな学問という意味なんです。
世のため、人のためになる大きな学問。それを究めなさいというのが建学の理念になっております。大きな学問、それに対しての小さな学問、小学というのがあるんですけれども、小学というのは、いわゆる読み書きそろばん、自分が生きていくための身の回りの学問、自立のための学問。
それだけでは足りないんでね。世のため、人のためになるような大きな学問を大学といった、それを極めるためには明徳を明らかにしなさいと。
明徳を明らかにするというのは、一言で言うと、天から与えられた知を極め、知性を究めるところにあるのだというのが建学の理念ということになっております。
中村 充:僕も高校時代があるわけで、学校それぞれに教育理念もあったと思うんですよ。多分その時も聞いているんでしょう、先生から。ただ、やっぱりある程度、高校の時には感じられなかった感じ方ってあると思うんですよね。
そこを理事長からもう一度お話しいただくとなるほどと。宇宙のお話もさっき出てたんですけれども、そのお話も聞きたいなと思ったんですけど、その学校のその特色と言ったら変ですけど、あまりそういうお話を聞いたことないので。
明徳学園が目指しているもの
福中 儀明:うん、もう特色といっても色々いろいろやってますけどね。東大に何人入ったか何十人入ったかというのを一番特色とするような学校もあれば、甲子園に毎年行って何度も優勝しているというのを特色にするような学校もあるけども、うちの場合はどっちも目指したいんですけどね。
そこにただやっぱり卒業生が最終的に中高だったら6年間、高校だけだったら3年間になるけれど、それを卒業して、その後社会でどう活躍するのか、それが一番大事な点ですかね。これからの社会でどう活躍していこうかということを考えた上で、指導をしていきたいなと思っているわけですよ。
これからの社会がどう変わっていくのか、激動の時代に入りますから、特に一番問題になるのは、AIの発達。AIの知能が人間をひょっとしたら上回るかもしれない。そうはならないと私は思っているんですが。でもそういう説もありますからね。
そういう時代には、もう今ある仕事の半分ぐらいはなくなるかもしれない。そういう時にどう生きていくのか。これが一番今の世代にとっては大事なことなんだと思うんですよ。
中村 充:難しい課題ですよね。
AI時代の働き方と宇宙の話
福中 儀明:今、運転手が足りないとか、配達業が盛んだけども、配達する人も足りないとか、あちこちに人が足りない人が足りないと言われてるようになってるけども、これがもう少しAIが発達すれば、いずれ車は全て完全自動運転となり、運転手はいらないわけです。
配達は全部AIがやってくれるわけです。
そういう時代に人間はどうやって生きていくのか、仕事を失っちゃう。仕事を失うと、新しい仕事ができるから大丈夫だという説があるけども、じゃあ、その新しい仕事は何なのか、ということを考えた場合、もう宇宙に行く、宇宙での仕事だろうと私は思うんですね。
中村 充:そこで宇宙なんですね。
福中 儀明:地球の上では、人間はもう遊んでいていい、まぁ遊んでいるだけではお金は入らないけども、仕事は宇宙にあるから宇宙に行かなきゃいけない。
中村 充:宇宙に行くというと?
福中 儀明:アメリカにイーロン・マスクと、それからもう一人、アマゾンの創立者のジェフ・ベゾスは言っているんですよ。
将来的に宇宙で100万人ぐらいが働くようになる。
私はその仕事場を作る。そうやって今ロケット開発してますけども、宇宙ステーションができて、あるいは月に人間が行くようになって、科学研究以外でもいろいろやるようになれば、本当に100万人クラスの人間が働くようになるだろうし、いずれ火星にも行くだろうし、そういうところに行ってほしいなと。
今の明徳にも幼稚園、こども園、保育園がありますけども、それぐらいの一桁の年齢の子供はあと30年ぐらいたったら月や火星に行っているはずですからそういうところで活躍することを私は夢見てます。
中村 充:そうですね。そのぐらいの年になったらそうですね。
県内最大の天体望遠鏡
福中 儀明:望遠鏡もあるんです。望遠鏡がもう40センチの反射望遠鏡ですから、県内の高校以下の学校にあるものでは県内最大です。
中村 充:そうですか。これはいつ頃できたものなんですか。
福中 儀明:2011年ですね。その時に中学を作って天文台を同時に屋上に作った。
中村 充:すごいな、みんなこれ(当サイト)を見ていただくのは卒業生だと思うんですけど、多分昔とは全然違う。
その辺をホームページなどで見てもらえれば。多分ホームページにも出ていますね。卒業生の皆さんが学校のホームページを開けて、こんなに違うんだって感じることがあると思うんですよね。とにかく、100年の歴史があるからそれぞれ在学している頃と今とは違うわけですよね。
県内唯一の電子顕微鏡
福中 儀明:あともう一つ、地味なんだけれども、中学の理科室には電子顕微鏡が置いてあるんですよ。そんなに大きくはないですが、500万円するんです。中学高校で電子顕微鏡があるのは県内他にないですよ。
中村 充:授業で見れるってことですか。
福中 儀明:そういうことです。
中村 充:すごいですね。会長の高校時代とか理事長の高校時代というと、高校ってどんなんだったんですか。
同窓会会長と理事長が高校生だった時代
福中 儀明:まずこの場所ではなかったですね。登戸の方にありました。そして、私どもの時には女子がものすごく多くて。
中村 充:男子の2期生ですからね。
荒木 由光:男子は2クラスしかなく、ずっと渡り廊下の先の、グラウンドのところのプレハブ校舎にいました。
卒業の時に現在の中学校が使っている校舎に男子部が移り、今の建物の半分ぐらいのものだったんですけれども、そこで卒業できました。でも大変だったというよりいい思い出ですね。
中村 充:そう、どんなところがですか?
荒木 由光:学校に来るのが楽しかったですね。
大体2時間目ぐらいにお弁当を食べてましたね。
いい先生にも恵まれました。今はその恩返しですね。だから理事長の話をここで一緒に聞いていると、理事長は大学で理系の学部に進まれたので、現在もそれに関連する施策や環境整備が頭から離れない。
父親が学校を経営してるから跡をつぐしかなく、何だかわからないけど跡を継いだ、世の中にはそういう理事長も多いと思うんですけれど、そういう人がやっている学校より、やっぱりいい学校だと思います。
昔は、私学というと県立に行けなかったっていうような偏見が多かったじゃないですか。私は、今の明徳はこうだよっていう話を私はするようにしています。今、100周年へ向かっているのですが、うちの親、うちのおじいちゃんおばあちゃんが出た学校に入学しましたということが多くなればなるほど、良かったなっていうふうに思いますね。
中村 充:理事長の高校時代ぐらいからとか、遍歴をちょっとお伺いしたいなと思いますけど。
荒木 由光:私、大学を卒業して高校の教員になったんですけれども、明徳ではなく、一種の武者修行のつもりで、大阪の公立高校の教員になったんです。
この学園の創立者、私のお爺さんにあたる福中儀之助という人は兵庫県の出身なんです。
中村 充:そうなんですか。
福中 儀明:兵庫県の師範学校を出て、兵庫の小学校の校長をやったりしてその後、東京に来て、それから千葉に来て、千葉の県職をやってたんですね。
県で教育委員会みたいなところに勤めていて、退職した後に明徳の前身となる千葉淑徳高等女学校をつくったんです。
その当時はまだ義務教育は小学校だけですから、小学校を卒業して次にいく学校は男女別学で、男子がいくのが中学校、女子がいくのは高等女学校という名前が付いていました。
女子の方が高等そうな名前が付いているけれど、それは逆なんですね。
男子の場合は、中学校を卒業したら、高校、旧制高校までいけた。
でも、女子はここで終わりなんです。おしまいという意味で高等女学校です。義務教育ではなかったけれども、中学校にいきたい男子も増えてきたし、女学校にいきたい女子も増えてきた。
でも、100年前には公立の中学校も高等女学校も県内で10校弱ぐらいしかなかった。男子がいく高等学校は千葉県内になかったんですよ。だから、中学校を卒業して高校までいきたいという人は東京に行くか、それとも隣の茨城の水戸にある水戸高校にいくかだったんです。
その時代に学校にいきたいという男子も女子もたくさんいたけれども、学校は少ない、入れないということで、私の爺さんがじゃあ私が作ろうということで、県内初めての私立の高等女学校を作ったんです。
それで話を戻すと、その祖父の出身が兵庫県ですから、少しは西の方の文化も経験したいなと思って大阪に行ったわけです。
大阪の公立高校はおもしろかったですよ。向こうの人間は非常に人懐っこくてね。
中村 充:全部関西弁ですよね。
福中 儀明::そうそう。関西弁の中で、私がこっちの東京弁で授業をやっていると、それだけで人気が出る。そこで数年を過ごして、「そろそろ千葉に帰って来い」と私の父親が言うもんですからね、こちらに帰ってきて明徳高校の理科の教員になった。
だから、いきなり理事長になったわけじゃない。
普通の教員からスタートした。それをやってよかったなと思うのは、やっぱり卒業生が成長して自分の子供ができて、その子供が大きくなった時に「先生お久しぶりです。うちの子供を入れてください」って来ることです。
これは非常に嬉しい。
中村 充:学園のほうも一時大変だったっておっしゃってましたし、今、人気が戻ったと。人気が出てきた理由というのは何かあるんでしょうか。全体的には少子化で大変なところも多いと思うんですよね。
福中 儀明:いろんなことをやらなきゃいけない。
例えば制服を魅力あるものに変えるとか。本来のやり方だったら受験勉強をどんどんやらせて、いい大学にどんどん進学させる。
それもやらなきゃとか、それからスポーツにも力を入れないといけない。
何かスポーツの県大会に出て、出ると負けるようじゃやっぱりダメですから、ある程度以上の成績を出さなきゃいけない。
そうすると、大学にいきたいという生徒、野球をやりたい生徒、その他の生徒がどんどん集まってくるわけです。色々なことをやらなきゃいけません。
もちろん施設も良くしていかなければいけない。施設をよくすることが最も金がかかります。
施設はそれなりに整ってきたけれども、まだ残されていたのがバリアフリー化ということで、やらなきゃいけない。
中村 充:100周年を機にということですね。
同窓会会長が卒業式で卒業生に伝えてるメッセージ
学校が100年間で3万数千人という卒業生を世に送り出したわけで、卒業生の皆様には現在の母校の発展ぶりを振り返って見ていただきたい。
また、今後理事長、会長として同窓会、淑明会をどのようにまとめようとお考えなのか抱負などお聞かせください。
福中 儀明:抱負もそうなんですけれども、昔は女子の学校でしたから、卒業式は3月3日の雛祭りのときに行っていたんですね。
荒木 由光:そうなんです。
ところが、3月3日だと大学の受験で卒業式に出られないということで、3月1日に変わったわけです。
私が会長になる前ですね。卒業式に、同窓会の淑明会会員として歓迎しますというメッセージを送る時間をいただいているのですが、美辞麗句だけで終わらず、それだけじゃなくて何かもっと現実や本音の話を本当はしたいなと思っていて、私学は高い学費がかかり、お父さん、お母さんがその分負担したことを忘れないでほしいと伝えています。
そして、今日帰ったら、夜の食事時にお父さん、お母さんに、迷惑を掛けたけれども今日無事に卒業できました、「ありがとうございました」ってちゃんと挨拶をしなさいと、これを私はずっと言い続けているんです。
中村 充:ああ、いいですね。
荒木 由光:それと皆さんは高校の3年間は非常に楽しいこと、いい思い出が多いかもしれないけれども、社会に出ればいろいろなことがある。
学校の中の思い出だけじゃなくて、できた友達を大切に、世の中の動きをよく見極めながらいい人生を送ってもらいたいと同時に、やはり万分の一でもいいから奉仕、そういうことを考えた人生を送ってもらいたいということを私は念じております。
必ずそういうこと言うんです。
友達と楽しい時ばっかり一緒に笑ってワイワイやっているのではなくて、何か悲しいことや大変なことになった時に自分も助けられるかどうか、そのぐらいのことまで考えた上で人生を送ってもらいたいんだということを言うようにして、決して甘い話だけはないです。
理事長が夢のある話をしますから、私は同窓の先輩として、世の中甘くないぞと、世の中のために万分の一でも何か役に立つようなことをやるということをいつも言っております。
中村 充:はい。
今、また改めてそういうお話を聞くと、また卒業式で聞くのとは違って感慨深いものがあると思うんですけども、理事長のほうにもせっかくここは卒業生向けに作っているチャンネルなので、卒業式で卒業生にお話しされるような話を改めてもう一回してもらってもいいのかなと思ったんですけど。
2020年の卒業式で理事長が卒業生に向けて話したこと
福中 儀明:校長挨拶があり、それから理事長挨拶があるわけです。
校長は一般的に在校していた3年間についてを語る。
同じことを語ってもしょうがないので、私はいつも将来を、未来を語るわけです。
未来について夢のある話をなるべくしたいなと思ってやっています。でも、一度世の中の情勢に激怒して、その思いを話したことがある。
それは何かというと、2020年3月1日に行われた卒業式、ちょうどコロナが始まったばかりの頃で、その3日前である2月27日に当時の安倍首相がテレビで呼びかけた「コロナで大変だから学校休校にしろ」という言葉に対する怒りです。
何言ってんだ。総理大臣が、学校は休め、休校にしろなんていう権限はないよと。
もしそれをやりたいんだったら、当時の文部科学大臣萩生田さんに話をして、萩生田さんが各学校の教育長に電話をして、こういうことだから無理しないで卒業式なんかやらないで休校にしたほうがいいんじゃないですかと言って、それで全国的になるんだったらいいのだけれども、文部科学大臣でもない総理大臣が、全国の学校に一斉に休校を要請するなんてことはしちゃいけないんだよと思ったんでね。
私は、それについて卒業式で言ったわけですよ。そんなことを言う資格はないんだよと。
中村 充:それも凄いですけれども。
福中 儀明:総理大臣がそんなことしちゃいけない、教育に政治が口を出したらろくなことにならないんだ!ということで、昔、そういうことで大変なことがあったことを歴史を振り返って演説したんです。
それは戦争が激しくなって兵隊が足りなくなった。
ついに学徒出陣ということで、大学生を全て戦場に送った。
そういう時代があった。
私の叔父さんも二人、それで戦争に送られて帰ってこなかったわけですよ。
そういうことを語ってね。だから政治が教育に介入してはいけないんだよと、今はおかしくなりつつある。
それはとんでもないことだということを卒業生に語りました。未来を語ったんじゃないんだけどね。
中村 充:緊急事態宣言のとき、ちょうどそのタイミングですね。政治と教育は別という。
福中 儀明:政治が教育に介入しちゃいけないんだ。
中村 充:そのもととなるのは、やはり戦争のこととかを考えたら、そういう風になるのか、なるほど。
福中 儀明:私の叔父さん二人が戦争で命を奪われましたからね。
大学生を辞めさせられてね。私の父親も学徒出陣の前にもう繰り上げ卒業で、3年で卒業させられて戦場に送られちゃったんですよ。
でも無事帰ってきたから、私が生まれたわけですよ。
中村 充:そうですね。今日いろいろお話を聞きましてね。
なかなか感慨深いお話もありますし、またお伺いしたい話もたくさんあるんですけども、何か卒業生に向けて100周年に向けてでもいいんですけども、最後に卒業生へのメッセージがあればそれで締めていただければと思います。
福中 儀明:ひとりの卒業生が言っていました。
その卒業生は女性なんですけれども、お兄さんが三人いる。その三人のお兄さんはすべて県立高校に入ったのだけれども、その三人のお兄さんが卒業した県立高校は今はもう三つともない。
残っているのは「私が卒業した明徳だけなんです」と。
今、子供の数が減ってきて県立高校は統合して、二つの学校が一つに、三つの学校が一つになっています。
事実上二つの学校のうち一つが、または三つの学校のうちのふたつがなくなってるわけです。
そういうふうにしてお兄さんたちが出た学校はなくなっちゃったけど、「私の出た明徳はちゃんと残っている。これは理事長がしっかり守ってくれてるお陰だと思うんですよ」というようなことを言ってくれ、まぁそうなのかなぁと思いました。
学校を守っていくことが理事に課せられた使命
そういう点でこれから学校を守っていくというのは、本当に理事に課せられた大事な使命だと思っています。それはもちろんやるつもりでいます。
中村 充:100年繋いでくれば次は200年なのか。
そういう意味から考えてみるとすごいですよね。そんな卒業生の会の会長でいらっしゃる会長のほうから一言、なんか締めてもらえれば。
荒木 由光:最近テレビなんか見ますと100周年記念という学校のニュースなんかも出てますから、本校と同時期につくられ、ここも苦労しながら100年紡いできたんだなと感じます。
この後、私もずっと生きられるわけじゃありませんけれども、150年、200年という大きな節目の時に、自分の身はなくなっても、その後の同窓会のみんなが頑張って同窓会を守りながら、なおかつ学校のために活動してもらえるようなそういう流れになっていってもらえればなという風に思っています。
中村 充:継承していって、いつまでもということですよね。はいありがとうございます。
100年後に残すタイムカプセルと1000年後に残すタイムカプセル
福中 儀明:最後に、100周年事業の一環として埋設する、100年後に残すタイムカプセルと、1000年後に残すタイムカプセル、二つのタイムカプセルの話をします。
中村 充:100年先と1000年先というと、解説してもらってもいいですか。100年後って誰が見るんですか。
福中 儀明:100年後の人ですよ。もう死んでますよ、我々は。
中村 充:1000年後というのは。
福中 儀明:1000年後はもう文化財になりますね。埋蔵文化財です。明徳は埋蔵文化財をつくるわけです。
中村 充:タイムカプセルってどういうふうに作るんですか。1000年後に残すって何をどういう状態で残すんですか。
福中 儀明:タイムカプセルの中に何を入れるか、それは今考えてますけれども、現在の学校の状態を表すもの。現在の日本の社会を表すものですね。
中村 充:埋めるとか。
福中 儀明:そうです。この学校の中のどこかに埋めて、その上にここに埋めてありますということを刻んだ大きな礎石みたいなものをかぶせようと思っています。
中村 充: 200周年か1000周年記念かに開けることがあるかもしれないですね。/p>
福中 儀明:100年後に送る手紙、1000年後に送るお手紙を現在の在校生に書いてもらおうと思っています。一人一通ずつ。100年後に公開しますよ、1000年後に公開しますよという条件で。
中村 充:それいいですね。
福中 儀明:みんなが書くでしょう。
中村 充:その100年後はともかく、1000年後というのはそもそも想像ができませんから。その1000年後という発想はすごいなと、さっきの宇宙の話もそうなんですけど、1000年後というのは考えたことないな。
福中 儀明:1000年後、人類が滅亡して宇宙人が開けることになるかもしれませんが。
中村 充:でもその時に1000年後を考えていた人がそこにいる、あったんだっていうことはありますよね。
はい今日は福中理事長と荒木会長にいろいろなお話を大変楽しく伺いました。今日は本当にどうもありがとうございました。