今回のにほんの同窓会のインタビューは東京都立北豊島工業高等学校 同窓会の斉藤会長と永田副会長にお話しを伺いました。
インタビューイ:斉藤会長、永田副会長
インタビューア:中村 充(にほんの同窓会理事長)
中村:
東京都立北豊島工業高等学校同窓会の
斉藤会長と永田副会長においでいただきました
御足労ありがとうございます
本日はよろしくお願い致します
斉藤会長の方から
同窓会に携わるきっかけみたいのから教えていただければ
会長:
60年
中村:
60年ですか?
会長:
私は卒業してから同窓会にはずーっと会合には出席してます
役員になったことはないんですが、
学校を卒業して65年ぐらい経つかな
ずーっと会合には出席してます
出席するようになったっていうのは、
本校にものすごいいい先生が一人いたんだよ
その先生が本校卒業して、大学を卒業して、
先生の免許取って、定年になるまでいたんだよ
どこも一回も行かない
中村:
北豊島だけに?
会長:
そうです
中村:
今ないですもんね
会長:
その先生がものすごくいい先生で、
その先生がこの白亜会の事務局を一手で引き受けてたんです
お金の問題も全て
当時は学校卒業する時に…
一回の卒業生が200人ですから
みんな同窓会入るために、五千円とか一万円とかって払ってたんですよ
それが会費になってた
北豊島には山中湖に寮があったんです
我々の先輩が昭和18、9年にお金出してつくったものなの
中村:
それ同窓会でつくったんですか?
山中湖に寮を?
会長:
そうです
我々の代になってから寮が古くなっちゃって
ものすごくお金がかかるようになっちゃった
あそこを卒業生が買ってくれたんです
今度はそのお金で、前の信川会長が「どっかマンションを買え」と
それで三つ買ったんです
部屋代が今の白亜会の活動資金になっている
中村:
活動資金の財源確保のためにね
あるお金とか不動産にしても、
運用してこの活動資金にあてていくっていうのは、
難しいけど大事なことですよね
会長:
同窓会もお金がないとやっていけないわけですよ
学校の生徒が研究会とか行ったりなんかする時に、
みんな自腹で行くようになってるんですよ
だからそれを出してやろうっていうことで、
毎年、白亜会のお金を出してるんです
それはいくら?
副会長:
毎年25万
会長:
毎年、25万ずつ出して、
引率していく先生が交通費とかいろいろな面に使う
同窓会が少しでも在校生の役に立てれば良い
副会長:
うちの学校、来年100周年を迎えるんですけども、
大正9年に本校を作る
丁度うちの学校の元々あった場所が
飛鳥山のすぐ隣の滝野川にあったんですよ
ですから飛鳥山っていうと渋沢栄一の本邸がありますよね
今、飛鳥山には渋沢栄一の博物館が三つぐらいあると思うんですけど
あそこのすぐ側に工業高校を作ろうということで
当時の財閥に、三菱の岩崎さん、古川財閥、それと渋沢栄一
あの頃財界の集まりがあった中で、
いろいろとお金を集めては学校を作るということで、
結構いろいろな働きがあったんです
財閥のお金だけでできるわけじゃなくて、
その時に関係している会社から寄付金を集めて、
それを…当時は東京府ですかね
東京府が渡して、学校を作ったっていうことが記録の中に残ってます
うちの学校できる時に寄付金名簿を見ると、
そうそうたるメンバーからお金いただいて、
それを元に滝野川に商工学校ができた
本校の基礎を作り上げたっていうのが、
二代目の佐藤孝次先生っていうのが、昭和の初期から戦後…
長い期間、その人がずーっとうちの学校作り上げたんですよ
今じゃ考えられないですよ
中村:
志が、校長先生のイメージが違いますよね
副会長:
その佐藤先生っていうのは、
今ではそんなことはできないんですけど、
当時戦争中、軍事品ですか
所謂、鉄砲やなんか作るのになんかするのに、
旋盤とかボール盤とかいりますよね
あれを本校で生徒が作り出したんですよ
それをただで国にあげたんじゃなくて、金を貰ってるんですよ
その貰ったお金を、自分のお金じゃなくて学校のお金ですね
学校のお金を貯めて、
それをさっきお話にありました、山中湖に学校の寮を作ろう
戦後に、これからの平和な日本を築くために、
子供たちにそういうところで豊かな教育を、自然の中で
っていうことでもあって、
当時我々もその山中行きましたけども、
入学した時の一年生、各クラスごとに40名
一週間ぐらいそこに行くわけです
そこに賄いのおばさんいるんですけど、
おばさんに食事を作ってもらって、一週間したら帰る
それを順番にやっていく
夏休みは部活で…
野球部とかサッカー部とかありますけど、
その部活は寮を使って活躍した
っていう良き時代があったんです
同窓会に携わるきっかけ
副会長:
最初は佐藤校長が購入して、学校のものだったんです
戦後、結局学校では持っていてはいけないよってなったんです
その処置をどうするかということで、
佐藤先生は同窓会とPTAの方に話をしまして、
PTAはそんな持っていられないということで、
じゃあ同窓会の方でってことで、同窓会が預かることになった
その管理をずっと同窓会がしてきたっていう経があります
山荘持ってる時は毎年赤字だったんですよ
僕は当時から会計の方やってましたので
役員会でよく話したのは、シミュレーションして、
「いいですか、このままいったら5年後に0になっちゃうんですよ」
って何度も言ったんです
それでやっと重い腰を上げて、
「じゃあもうだめか、売ろうか」
ということで売っていただいたと
売り先もいいところを…
マンション購入したということがあって
本当にそういう意味ではラッキーでしたね
中村:
永田副会長は同窓会そこまで一生懸命される…
斉藤会長の60年もびっくりなんですけど、
どういうきっかけで入られたんですか?
副会長:
僕は当時は同窓会には行ってないんですよ
行ってなくて、クラス会っていうのがあった
クラス会は卒業してから、担任の先生を中心にずっとやってました
ただ同窓会っていうのは、当時はちょっと距離が高い位置だったんです
「まだ我々は同窓会は早いんじゃないの」
っていう話はしながら、
担任の星先生が「たまには来てみなよ」ってぽつんと言ってたんですよ
ただ当時、昭和40年、50年代の頃ですと、
若い方は少ないんですよ
どうしても50代、60代、70代
所謂、会社を卒業された方たちが中心になって
世代のギャップっていうのをすごく感じた
当時の僕らの時には、すぐには同窓会には行くことはなかった
なんで同窓会に関わったかというと、
私の子供、次男坊がですね、実は本校に入学したんですよ
入学した時に、PTAから言われたのかな
「永田さんのお子さんは、永田さんと同じ学校なので、
PTAの方よろしくね」って
PTAの会長の方もやらされた
そういう繋がりで、まずはPTAから入っていったんです
PTAから入ってきた時に…
PTAと同窓会っていうのは繋がりありますよね
PTAの会長として同窓会に関わるようになったんですよ
子供が卒業してPTA終わった後も、そのまま同窓会の方に居座っちゃったと
当時でいくと、同窓会のメンバーでは一番若いクラスですね
今から30年以上前にお世話になったと
それからずっと今現在きてるんですけど
中村:
PTAにしても、同窓会30年やるにしても、
斉藤会長みたいに60年携わってくるにしても、
財源の回し方が上手くいった時はいいですけど、
悪かった時には非難もされるわけですよね
自分の仕事としてやってるわけじゃないじゃないですか
同窓会のためにと思っていろいろされてきて、
会長とか副会長とか役職で長に立ってると
避難とか苦労がある中で、それでも続けられてきたやりがいっていうのは…
動機っていうんですかね?
それは何があるんですかね?
会長:
「何ですか」って言われれば、
何だろうなっていうことになるんですけど
私は恩返しですね
生徒諸君が本当に日本のために、世の中のために役立つようなのが、
あそこから出てくれるっていうのが非常に嬉しい
学校でいろんなことでお世話になってるし、
先ほど言った佐藤先生にも相当お世話になってるし、
いろいろあったもんですから、
何しろ子供たちが伸びやかにね
世の中に出たら…
なんと言っても、大学出じゃないですから
大学行く人も何人もいますよ
でも粗方の人は高等学校から就職して…
だから世の中でちょっと甘く見られるんですよ
中村:
今の時代になっちゃうとですね
工業ってなるとですよね
会長:
そういうのに負けないようなね
佐藤校長の教えの中に
「心は高く、身は低く」っていう言葉があるんです
副会長:
学校の校歌に
会長:
僕は「心は高く、身は低く」っていうその言葉を、
結構よく使わせてもらうんですが…
そういう生徒が「俺は北豊島の卒業生だ」って
堂々と世の中渡ってもらいたいなっていう
そういうことです
受け継いだものづくりの精神とは?
副会長:
佐藤校長のものづくりの精神を受け継いでる
本校の卒業生っていうのは、みんなそういう形でやってると思います
中村:
最初の志の部分を引き継いでるっていう感じですね
副会長:
私も若い頃は同窓会には顔出さなかったっていうのは何でかというと、
ギャップがあったっていうこと…
今の卒業生も、
卒業した後にすぐ同窓会に顔を出す人っていうのは稀なんです
中村:
大体そうですけどね
副会長:
そうですよね
多分50、60になった時に…
クラス会はそれぞれほぞぼそとやってると思うんですよ
そんな中で50、60になってきた時に、
「他の同窓生とも会いたいね」っていった時に、
同窓会を管理しているところに連絡をすると、
ホームページでそれを見ると、
「俺もちょっと連絡してみたいな」ってことがあれば、
連絡をいただければ俺の方で対応いたします
年に何回かあるんですよ
そういう方からのメールがあって、
「私は何年何月に卒業した誰です。当時の先生は誰々です」と
「先生と連絡が取りたいんだけれども、教えてくれませんか」って
ホームページから入ってきます
中村:
ホームページはあるんですね
副会長:
あります
中村:
ちなみに今の北豊島工業高校同窓会の活動っていうのは
どういう形になってるんですかね?
副会長:
活動はですね
大したことやってないんですけども、
正月の新年会、その後に6月の総会、
それが終わりますと、8月から9月にかけて一泊旅行
11月の白亜祭、学校の文化祭がありまして、
そこのところに白亜会コーナーっていうコーナーを作るんです
中村:
白亜会のブースがあるわけですね
副会長:
そうです
定番なんですけども、歴代のアルバムをずーっと並べて
それと写真ですよね
本校の戦前、戦後の古い写真を並べて
本校を卒業してものづくりをやられてる方の展示、販売もやってるんです
からくり人形っていう、よくテレビなんかにも出るんですけど、
からくり人形をやっている大野さんって方
その方も白亜会のコーナーでやっている
大野さんは学校の生徒に、自分たちでからくり人形を作るように
指導もしてるんですよ
からくり人形は江戸時代からずっとある
どうやってやってるかというと
鯨の髭ありますよね?
あの髭がバネです、動力源なんですよ
あの髭を巻いて、それが動力でカッカッカッて動く
それがどこに伝わるか
歯車に伝わるわけです
歯車からいろいろと伝えて、腕とか足とか
そういったところに伝えていくんです
それで前進したり、後退したり、
右に曲がったり、左に曲がったりっていうところを…
所謂メカニックの原点なんですよ
中村:
鯨の髭?
考えないですね
副会長:
元々は鯨の髭
今はゼンマイ使ってます
ゼンマイで回してます
金属のゼンマイ使って…
江戸時代は髭ですから
中村:
学校の創業の時の志を、
ずっと同窓会の方で引き継いでいるっていうのはすごいですね
なかなかそういう話も聞かないなと思って
今伺ってたんですけどね
副会長:
あの頃は僕らの時代も…
もちろん斉藤さんもそうですけども、
先生の在任期間っていうのが長かったんですよ
10年以上の方もざらざらいたんですよ
卒業して何か壁にぶつかった時に学校に行っても、
その先生がいるんですよ
そういう形で学校と卒業生が繋がりがあった
今はそうじゃなくて、大体5年で変わっちゃうっていう
4、5年で変わっちゃう
我々の時の愛校心とは…
中村:
違いますよね
先生方もそうですしね
副会長:
その辺のところを言ってもしょうがないので、
卒業生を同窓会に繋がってもらいたい為には、
同窓会と卒業生、それと学校が一つの繋がりをずっと残して…
先生はいなくなったけれども、同窓会はずっと不滅ですと
何かあったら同窓会に来てくれということで、
今はいろいろな問い合わせは、
ホームページの問い合わせコーナーから入ってくるんです
それを使って、どんどん若い人たちが、
「卒業したけど学校のなになにを知りたい」とか
「誰さんと会いたい」というような時に、
直接は繋ぐことはできないけれど、
同窓会が管理してる…
同窓会事務局というところに我々お世話になってるんですけど、
そういうところを通じてやっていく
昔みたいに、名簿なんて今は表に出ないでしょ
中村:
作っているところもありますけど、昔ほどじゃないですよね
あんまりやってないですよね
副会長:
PTAもそうですし、同窓会もそうなんですけど、名簿は持ってません
我々同窓会は、同窓会の名簿っていうのは一切持ってません
持っているのは、何十年前の名簿は持ってます
今の新しい名簿っていうのは持ってません
それは同窓会事務局…
事務局の元っていうのは学校なんですけど、
学校と事務局で持って保管している
個人情報っていうのは絶対漏らしません
漏れないんです
遠慮なくホームページから入ってきて、問い合わせする
ホームページを見て、ホームページから問い合わせください
中村:
そうすれば同期会とかの連絡先が…
会長:
先生がですね…
彼の時もそうだったんですが、
本校を卒業した先生が、また来て先生やっているわけです
それが何人もいたわけです
ですから、同窓会やろうが何やろうが、
先生に話が行くわけですよ
本校卒業してるわけですから
中村:
卒業生ですからね
会長:
そうです
そういう先生が今いなくなっちゃったんです
中村:
そういうことですよね
副会長:
15年前までは、学校に白亜会担当の先生がいたんです
中村:
今いないんですか?
副会長:
今いない
今は事務所があるんですよ
事務所に郵便受けの白亜会の受付箱ってあるんです
そこに、白亜会向けっていうとそこに入ってくる
中村:
一応郵便物はそこにいくわけですね
副会長:
私がそれを…
家が近いですから一月に一回とか、必要であれば毎週取りに行きます
そういった形で今はやってる
昔は白亜会担当の先生がいまして、
その先生は本校を卒業した人なんです
その人が歴代ずっといるんですよ
15年前にとうとういなくなっちゃった
いよいよ学校との連絡が、昔みたいにならなくなっちゃったんです
それが今辛いとこかな
中村:
今の課題ですね
時代とともになんでしょうけど
学校宛に、白亜会宛、同窓会宛に出せば、郵便物は届くわけですよね?
副会長:
届きます
会員の皆様へのメッセージ
副会長:
去年、インターハイ…
うちの陸上部がね
円盤投げとか槍投げで結構優れた人が出てきて、
それでインターハイに出場すると
あんなこと今までなかったと思います
垂れ幕出して、あれの支援を…
学校では出ないから、PTAとうちしかないんですよ
どこの学校でも出してるじゃないですか
それみんな資金集めに結構苦労してますよ
中村:
そうなんですか
会長:
我々が少しでも、子供たちのためになればいいなと思ってます
我が北豊島工業は、来年100年を迎えます
100周年ということで、大変意味深いものがあります
日本でやるオリンピックが来年あります
そのオリンピックの年に、丁度我が校が100周年を迎えるということは、
非常にそういうものに縁があるのかなと思うし、
来年の100周年、
これは東京オリンピックの後に式典をやろうと思っていますが、
是非東京オリンピックが大成功して、
我が母校の100周年も成功してもらいたいなという風に思います
今生徒さんが大変少なくなっています
普通高校を卒業して専門の大学に行くっていうのはとても良いことですが、
我が北豊島に入学すれば、18歳で卒業して世の中に出る
これの基本的なことを学べる
これは私が母校の伝統といいますか、
昔の校長先生の校訓というものが非常に役立って
未だにその教育方針は変わってない
こういうことが、これから北豊島に入学する方々に
必ず為になる
必ず良いことがある
私はそう思っています
是非、我が母校においでください
同窓会の白亜会は、両手を広げて、
みなさんが来るのを大歓迎してお待ちしております
是非、来ていただきたいと思います
そしてみんなで楽しい一時を過ごしたいなと
このように思います
どうかよろしくお願いします
中村:
ありがとうございました
本日はどうも、長いことありがとうございました
東京都立北豊島高等学校 同窓会 白亜会という
最後何かあれば一言ずつ締めたいと思うんですが
会長:
若い方の、同窓会参加される方が少ない
これはしょうがないというか、ごく自然だと思います
卒業してすぐ同窓会に顔を出すと逆に心配で、
どうしたんだろうと思いますので、
40、50になった時に、
みなさんそれぞれクラス会はやられてると思いますので、
そういった方たちと連絡が取れなくなったりした時に、
同窓会のホームページの方に問い合わせコーナーがございますので、
そこからメールでご連絡ください
連絡いただきましたら、私どもの方から…
個人情報につきましては、全部私どもには通りません
それにつきましては、
管理している同窓会事務局というところがございますので、
そちらの方に問い合わせしまして、
その結果をメールいただいた方にお届けするようにしています
毎年4、5件は来てます
ホームページからみなさまのメールをお待ちしていますので、
よろしくお願い致します
中村:
ありがとうございます
本日は貴重なお話をいただきました
本当にありがとうございました