中村:
本日は、東京都立墨田工業高等学校、2017年で117年目を迎える古い伝統の
ある学校でございます
そこの同窓会、墨工同窓会の幹事長をされております
司茂政勝様においでいただきました
本日はよろしくお願いします
司茂幹事長:
お願いします
中村:
司茂様は同窓会の関わりっていうのはどのぐらいされてるんですか?
司茂幹事長:
えーっとね、15年ぐらいかな
15年ぐらい
中村:
卒業生で、学校の先生の時にされてたんですか?
司茂幹事長:
先生の時はしてません
中村:
でも先生だったわけですよね
隅工
司茂幹事長:
いえ先生
中村:
先生ではない
卒業生でずっとされてたんですか?
司茂幹事長:
そうです
中村:
あー
司茂幹事長:
だから85
もっとやってるなぁ
100周年の時も当然やってましたね
中村:
その前からされてますよね
司茂幹事長:
そうですそうです
やってました
ちょっと今分かんないな
だから20年ぐらいやってるんじゃないきっと
中村:
20年もされてて、どうですかね?
一言で中々言えないその想いっていうのはあるんでしょうけど、
中々長く続けててもご苦労があったと思うんですけど
司茂幹事長:
そうですね。苦労って言えば苦労ですけど、
やっぱり現在僕が存在してるのは、墨田工業高等学校の電気科を
卒業を昭和30年にしたんですけれども、
30年に電気科を卒業したというところで、私の人生がですね、
電気屋とこういう感じになったわけですよ
それでまた先生が鈴木一郎さんという方でね、今年いくつだ。80何歳
怒られそうだな先生
88歳
それでクラス会もよくやってるんですね
今年の2月の末かな
クラス会やるんですけども、3月か
2月だな
集まるのは大体10人から15人ぐらい集まるのね
担任の先生がすごく生徒の面倒見が良かったということと、
それから電気科でタケモトさんっていう方と、
タケイシさんっていう電気科の先生がいらして、
タケモトさんは亡くなってタケイシさんはまだご尊命なのかな
学校でですね、電気の授業で電気屋さん賞を取られたということで、
問題をいっぱい出してくれてですね、
毎日毎日鍛えられたという感じだったね
それがあったので、その電気の教科書の電子辞書とかそういうやつを
しっかり勉強したので、僕の就職してから随分役立ったということも
あって、それで昭和40年ぐらいから40年後半かな、
要するに工業学校沢山創立されましてね、
墨田工業の先生方が各学校にですね、行かれてるわけです
工業のノウハウを墨工の先生が長くやってらした人がいるから、
そういうノウハウを学校にこうなんだろうな、植え付けると
そういうことをやってたんですね
僕はずっと後に100周年の前の時に学校に行ったりしててですね、
やっぱりいっぱいできてきて、そのうちにね、昔の学校っていうのは、
要するに工業学校に行きたいから
中村:
そうですね
その頃は工業高校の先駆者的なところですよね
司茂幹事長:
そうそう
そうです
だから工業高校に行きたいからということで、
電気とか機械とか建築とかが好きだから行くっていうんですけども、
そのいっぱいできた後にですね、要するに中学校の方で、
中学浪人はちょっと作りたくないってこともあって、
進学が1番、この辺だったら両国とかね
そこに入れてあんまり偏差値は良くない、ぶちまけた話
偏差値の良くない子を工業とか周辺に入れたわけ
中村:
そういう時期ありましたよね
司茂幹事長:
ありましたありました
学校がいっぱいできすぎて、
子供が多いから作ったんだけれども、やっぱり色んな子達が来るとね、
授業は中学で勉強してないからね、
例えば電気科行って電気の計算した時に、
ちょっとあんたは中学の時勉強してないんじゃないの?
っていう子達がいたの
そんなのがあるとね、そうするとどっかの時点で
工業高校の統廃合とかが出てくる
それを頑張らないと墨工も100年の歴史があるっていったって、
東京都の教育委員会の考えで、はいご苦労さんってやられるんで
江東区に工業学校が3校あった
墨工と科高と高等工業
この3ついらないっていうんで、高等工業は廃校になって、
科学技術高校になった
中村:
そういう風潮ありますよね
工業高校って残しておくの少ないですよね
司茂幹事長:
ないんですないんです
それになってそれが科高がね、
チャレンジじゃないな、大江戸高校って名前になって、
好きな時に行くね、そんな勉強の方法
っていうことは、これは放送されるとあれかもしれないけどね、
要するに学校が統廃合されたってさ、教員が減らないから、しんかんなわけ
そうすると先生方も変な子供が来たら教えたくないしね
昔はやっぱり俺たちは何したかというと、
試験の範囲が広くなったら嫌だからね、
質問をして授業の進行を止めようとかやってたわけ
変なやけくそな質問して。そういうのがあって、
結局そんなのがいっぱいいるもんだから、
僕らのクラスの稽古がまとまったりしてるんですよね
要するに学校の統廃合の問題、実際に墨工もね、
フジムラジン20代ぐらいの校長の時にね、電気科1つなくなったんです
だから機械が2組、電気が2組、建築が1組
これがなくなった
その次は何が来るかっていったらば、4クラスになった学校はね、
次はなくなると。いうことがあって、
僕ら一生懸命頑張ってですね、それでもって4学級になった、
すごく頑張ったもんだから、
高等七不思議だか本所の七不思議だかで1校増えたんです。元に戻った。
工業高校の他の先生方はね、何で墨田が戻るんだと。
って言ったらば、先生方はね、それは100年やってる学校とね、
そんな昨日や一昨日出来た学校とは違うんだということで
何か言ってくれたようですけども、
そんなことがあって非常に工業高校に対する受験生が入りたくないやつが
入ってるとか、そんなのがあるんでね非常に危機感を持って、
そんなことがあってですね、潰されたらたまんないと言う感じがあって
中村:
そうですね
歴史があって
司茂幹事長:
歴史があって4つになったら墨田がなくなるわけだ
っていう話を聞いたんで僕らは一生懸命頑張って
僕らの代で潰すってことはさ、申し訳ないじゃない
初代校長さんに
中村:
でも当時の100何年前の工業高校ってエリートなんですよね
言ったら生徒さんにしても
司茂幹事長:
そうですね
だからね、隅工で当時だから一等最初は東京府職工学校、
東京府立商工学校、それからその後に実科工業、
墨田工業で東京都立墨田工業、新生高等学校になったわけだ
昭和12年位に入った先輩はね、倍率が24倍とかね
中村:
技術者とかそういう科学者、物づくりの
そういう技術を専門にされているような
司茂幹事長:
町工場のそういうのだから、倅に学校に行ってね、
何かおろさそうということがあったそうですよ
何か20何倍とか言ったら物凄い倍率でね、遠くから来てるんですよね
港区とか足立のどっかとかね、随分遠くから来られて
そんな感じでしたね
中村:
20何倍って言ったら今じゃ考えられないですけど
司茂幹事長:
だからね、墨工出た人が次どこに行くって思ったらね、
東京芸大行く人とかね、東大に行く人とかね、そういう人がいたわけ
今じゃ想像もできないでしょ
偏差値がこうだったら
そんなところがあってね
だから非常に歴史があってそれから戦前戦後と非常に苦しい時もね
乗り越えてきてるわけですよ
だから、簡単には潰して貰ったら困るというところで、色々陳情した
同窓会に携わるようになったきっかけは?
中村:
同窓会に司茂様は手伝われるきっかけっていうのは、
先生から言われたんですか?
司茂幹事長:
違います
あのね、先生方はやっぱり学校がなくなるみたいな危機感とか
そういうのがあったんです
もっと僕は電気科に入ってちゃんと就職したからね、
当時は早川電機工業ね、現在はシャープですけども。
そこでちょうど今の今上陛下がご成婚の時に、34年の4月10日ご成婚
学校を卒業する前に就職したのが3月2日なんですよね
だから1か月間くらい先に仕事やっちゃったんだけど、
そんなことがあって、きっかけっていうのはやっぱり危機感ですね
中村:
母校の
司茂幹事長:
そう
工業高校の地盤沈下っていうことで
行きたくないやつが行けば碌ななことがないから
だから普通科思考とかっていうことになって、
皆普通科行ってね、4年生の大学行ったってね、
今だからAO入試とか言ってね、
大学のアドミッションをそんなとこ行って面接だけで入るからね、
学力が至ってないという人っていう達がいるそうですよ
中村:
継続して何年もやってこられたっていうのは、
ボランティアじゃないんですけど、同窓会って
司茂幹事長:
だけどね、ボランティアじゃないんですよね
中村:
その辺のこう、どうなんですか?
司茂幹事長:
それはね、歴然と同窓会報をね、毎年印刷7200部ほどやってるわけね
だから1万数千人でも相当なくなってるけど、
少なくとも7000人ぐらいの人たちがアクセスできるわけです
そうなると、やっぱり顔が何か見えてきますよね
どこの誰々さんとかそんなの分かると、
やっぱり何か言ってくる人達っていうのは、
学校に関心をすごく持ってる人たち
お世話になったとかね。俺が今こうやってるのが、学校のおかげだと
何とか先生のおかげだとかそういうのがある
中村:
墨工会報の歴史が。何年ぐらいお作りになられてるんですか?
手元にあるんですけども。こういうのは相当長いこと
司茂幹事長:
やってます
中村:
隅工の会報誌っていうのも
司茂幹事長:
前はね、中村さんのとこにお願いした一等最初の時は
やっぱり弊誌能力はみんななかったしね、取材の能力もなかったしね
だけど僕らビジネスマンでやってたら無から有は生じるわけだから、
生じさすわけだから、
やっぱりどういうことだった読んでくれるかと
こういうところこうやって見てもらったらね、
五輪バスケット元代表とかね
母校に期待
大村先生ノーベル賞。教え子の関係
こういうの書くと16ページ見ればこうなんだとかね
それからバスケットの何ぺージだろう、17ページか
こういう本郷さんっていうこの方はメルボルンのオリンピックの選手ですよ
それから会報は僕より1年後輩だけどね、
これは東京オリンピックかな
すごいですこれ
東京オリンピックだな、バスケットボール
これも書いてますけどもね
甲斐は1年後輩だからすごくバスケット上手いの
朝昼晩やってるんですよ
朝来たらやって、昼も昼休みやって、帰りもやって
バスケットはボールドリブルなんてしたって、
手にボールがくっついてるの。俺らがやったらどっか行っちゃうけどね
そんな人がいたら会報っていうのは鹿島アントラーズが
隅金に就職したんです
こういう人達がいてね、墨田でバスケット戦前すごかったんですよね
その影響を受けて、こういう人たちがバスケット出てきてるわけだけども
中村:
こういった社会で活躍されてる方とか、有名な方とか、
卒業生居るんだっていうので、こう誇りにはなりますよね
結構知らないもんですよね。卒業生だっていうことを
私今回ちょっと凄いなと思ったのは、大村智先生ですね
ノーベル生理学賞を取られて
昨年は石碑購入記念碑をね、購入されて、
私最初は卒業生かと思ったら、旧職員なんですよね
職員の方だったっていうことでお伺いして、
確かに同窓会の中では旧職員も会員であるというような、
特別会員だったり賛助会員っていう扱いになるんですけど、
そういった先生の栄誉も同窓会として、記念碑を建立するっていう。
都立の学校でそういうのやるっていうのは
凄く大変なところもあったと思うんですよ
司茂幹事長:
大変だったですよ
中村:
そこら辺のいきさつも伺いたいなと思うんですけども
式典をね、昨年12月ですか
除幕式って言ったらいいんですかね
私も拝見させていただいてて、
ちゃんと石碑の横に墨工同窓会って堂々と入ってましたけどね
司茂幹事長:
墨工同窓会
学友会ですね
中村:
学友会ですか
司茂幹事長:
同窓会もやったと
中村:
そういうまあ言ったら学校からすると外部団体となるんでしょうけども、
ちゃんと学校に建立できるのは中々新しい学校じゃできないだろうなって
いうのがちょっと
普通は一般的に言うと私立の学校だったらできるんでしょうけど、
県立とか都立というカテゴリーの中では、
これは中々難しいことだろうなと思って
その辺もご苦労もあっただろうし、その辺のちょっと経緯も
同窓会活動としては非常に珍しいなと思ったんですよね
同窓会での記念碑建立の経緯と苦労
司茂幹事長:
あのね、大村先生が27年の10月5日の日にノーベル賞受賞が決まったと
その後すぐですね大村先生の方から、
この辺載っかってますけどカワハラさんとか卒業生を通してね、
墨工で講演会をやりたいとお声をいただいて。
PTAと生徒当然ね、PTA関係者来て、やりたいと言ったんだけども、
授業時間の関係で出来ないと
中村:
講演会がね
司茂幹事長:
講演会
だけど、本当は大村先生を間近に会って話を聞くってことは
この人たちにとって、子供たちにとって、後輩にとって、
それから親御さんにとっても、先生方にとってもね、
ノーベル賞貰った人がすぐそばにいるって
そんなこと考えられないじゃない
僕ら考えてたのは、大村先生にまだ言ってないけど、言ってなかったけど、
大村先生が書いた本を大村先生にサインをもらって、
頒布しようと考えてたんですよね
それは学校の都合で授業に差しさわりがあるとか言われてね、
半年間取られない
その校長が言うわけだね
この人は去年の3月で終わったけども、
今度その後の校長になった時に引継ぎが4月1日にやったわけです
講演会の話もしたんだけど、
最初の時やりましょうっていう雰囲気だったのね
どっかの時点になったらば、その話がダメになった授業の関係で
我々からしたら自分たちの都合で修学旅行に行ったりしたら
その後休んでるんじゃないかと
自分たちの都合で授業やりくりして休んで、
じゃあ今度すごく大事な世界的な方ですよ
中村:
2億人の命を救ったとか、3億とかそういう風に出てますよね
司茂幹事長:
その人の話を聞けるなんて言ったら、その人一生の宝じゃん
俺なんか高校の時にさ、
大村先生の話聞いちゃってこんな凄かったさって言えればね、
すごくその人の一生何歳まで生きるか分かんないけどさ、
すごく良い感じになるでしょ
お父さんお母さんもすごく嬉しいでしょ
それを聞いたマスコミで報道されたらば、
今度墨田に来たくなる子だっているでしょ
中村:
そうですね
司茂幹事長:
それはダメだったんです
中村:
学校も色んな反対があったわけですね
司茂幹事長:
そうよ
でね、120周年だったらやれるって今度の校長が言ったわけだ
120年なんか悪いけどあんたいるかよって
3年ぐらいで変わるんだから
俺達はずっとやってるけどね
ということは呈の良いお断り
それと並行して、講演会の話と記念碑の話を言ったからには、
記念碑の方が色々あったの
中村:
そうでしょうね
良く通したなというところが
司茂幹事長:
それは必死こいて通したの
東京都に詰問したんですよ
中村:
そういう感じになるでしょうね
司茂幹事長:
詰問してやったのね。
それも学校の食堂を墨工の食堂っていうのは
どっか定時制の学校に給食を自分達は食べるけども、
自分の学校の生徒はね、最小とかやってるわけ
そこをやると使うと、衛生的に悪いとかね
衛生的に悪いっていうんだったら生徒が来て飯食ったって
一緒じゃないかと思ったんだけども、お断りということで
えらい苦労したね
結局学校からは要するに東京都から来賓者が来ない
断ってきた
教育部長とか、何とか何とか課長
支援センターの所長さんが来るって言ったのに断ってきた
直前になって
で、それで同窓会の定時制の黒川さんって会長とどういう理由だか
教えてくれよと、携帯番号教えたら電話来た
色々話して、そういう色んなことをね、全然私の耳に入ってなかった
だから俺言ったの都合の悪い話を上司に報告するって言ったら
民間だってないから役所もないでしょっていったんだけども、
そういうこともあってそれも乗り越えて、
この間出席してくれましたけどね。部長さんがね。小池都知事も
中村:
小池都知事からも結構な電報が来てましたよね
司茂幹事長:
電報来たんですよ
だから祝電来てましたね
東京都栄誉都民って言ってるのにね、
何かやる時に来れないっていうのは失礼だと思うんですよ、普通常識的に
だけど何とか皆さんに色々バックアップしてもらってね、
記念碑がちゃんと購入できたと
僕は嬉しかったのは大村先生が除幕した時にね、
記念碑の所に白い枠が後ろになって記念碑があるでしょ、
そこのところにどっこいしょって腰かけてね。そういう写真撮った
それはだから大村先生も僕らよりも何歳か上ですから、
1日やっててお疲れだったんだなって思って撮ったんですけどね
だから大村先生もすごく喜んでくれた
中村:
そう、喜んでらっしゃいましたよね
司茂幹事長:
すごく喜んでくれた
大村先生について
中村:
大村先生が初めて務められた学校が実は墨田工業だったということで、
そんなところからそういうものをしてくださると、
先生自体も思ってなかった
司茂幹事長:
こういう一つ結局、カワハラさんとかね、
そういう定時制の人たちが、
大村先生に習った当時の子供たちがね、
毎年クラス会やってるんですって
中村:
その時の結束があったんでしょうね
司茂幹事長:
だから大村先生がすごく良かったんですよ
僕らもね、さっき言ったタケイシとかね、
タキモト、タケイシか鈴木一郎先生が良かったから学校に思入れがあって
これ生徒もそうよね
中村:
要は大村先生の教え子たちが、結束が高いわけ
司茂幹事長:
高いわけ
中村:
良かったんでしょうね
司茂幹事長:
先生が良かった
でなかったら「なんだこのセンコーが」ってなるでしょ
だから教師っていうのはね、薬っていうのは何十年も効く、
ちゃんとやればね
特効薬だと思うんですよ、教師はいい商売だよ
何十年も効くんですよ?
だって18歳の人が、50年経ったって先生は先生だしね
この大村先生を囲んで、式典があったのにさ、
ちょっと軽い食事でもしようっていった時に、
最初はさ、なんとかさんって言ってたのにさ、
なんとか先生、大村先生って呼んでたのにさ何とか君になるからね
中村:
いくつになっても先生と生徒みたいな
司茂幹事長:
生徒だって71とか2だよ、先生だって80いくつでしょ
十くらいちがうのかな
最初は何とかさんだけど、先生なんて言ってるうちに
何とか君になるからね
学校の先生とは
中村:
同窓会っていうのは、母校への思いもあるでしょうけど、
それと同時に思いでとしては、どういう先生に習ったかっていう
その結束が違うんでしょうね
司茂幹事長:
だから大村先生がね、日本経済新聞の私の履歴書のやつに書いてるけども、大村先生も教え子ね、カワハラさんっていう人たちが、仕事やって、
ギリギリだからさ、石鹸なんてやったって落ちないじゃない、
こう入ったやつ
そういう油の手で来たりね、作業服で来たりするわけね
そこでそんな一生懸命やってくれてるのにっていうところで、
そう先生が思ってくだされば、
生徒だって「先生どうこう」って言うじゃない
今ね、教師がね5年とかね6年で変わるわけだ
中村:
そうですね
司茂幹事長:
そうなったらね、校長だって3年くらいで変わるから、
なんで仕事が出来るのよ3年か2年で
なんかやってるうちに結局何にも問題起こさないスッと行こうって
なっちゃうでしょ
だから生徒に慕われるような先生がいなきゃダメ
思入れがあるって言ったってさ、タキモト、タケイシ、鈴木一郎とか
他の電気科の先生すごく教えてくれたから嬉しいと思ったけどね
カナイ先生、マツモトさんなんて昭和16年卒業したら、
電気課の課長だからね
墨工に行くと、当時テレビがあったんですよ
昭和30年代の初めなんてテレビみんなないんだもん
それから東京の科学博物館のアオキクニオさんっていう、館長だか部長は、
墨工出身なんですよ
だから僕ら、科学博物館何回も行きましたよ
フーコの振り子とかって、科学博物館にプラプラ上から吊るして、
地球の自転を知るっていうだったそうですけど、
そんなの学校は科学博物館連れてってくれましたよ
当時青木さんっていうのがいて、話聞いてたら、
もっとね科学博物館行ったんでしょうけどね
何で行ったのかなって思ってるだけで、いろいろ調べていると、
同窓会やってると昔のデータわかるでしょ、じーっと見てたら
そんなのがあって結論としては学校に対する愛着とか
同窓会っていうのは先生によりますよ
中村:
是非、学校の先生頑張っていただきたいと思います
全国の学校の先生
司茂幹事長:
本当にそうですよ
効いてんだから薬が
俺だって76でしょ18からだから大変なもんでしょ
いくつだろう50何年も効いるんだよ、薬がね
だから先生は大事よ
日本の技術とか技能とかって教えるんだから
それで先生すごいなって思ったり、お世話になったとかね
学校の先生よろしくお願いします
中村:
全国の学校の先生頑張っていただきたいと思います本当に
同窓会と学校の関係性
中村:
同窓会にずっと携わっていて良かったことっていうのは、
どうですかね、小話もたくさんあると思うんですけど、
先ほど聞いた、すんなりね、学校と話がいかないっていうのは、
学校は学校の立場で特に都立ですとルールもあるでしょうから
司茂幹事長:
だけどね、役所だからさ、仕事がのろいんだよね
俺なんか明日行ったら明日やりましょうってやるけど、
なんかグダグダグダグダね
そんなことやってっから、不沈艦みたいになってね
だってつぶれないんだもん
民間だったらね、明日の手形の金がなかったらつぶれちゃうんだからさ
中村:
都立とか県立ですからね
司茂幹事長:
そう、つぶれないんだからね
そうすると生徒に悪いけどさ、22歳のお兄さんが先生になるんだからね
俺らだって22のあんちゃんに「おい、コーヒー買ってこい」とかね、
「おい、コピーしとけ」って言っていろいろ鍛えてね、
OJTでいろいろやるんだけどさ
先生っていうのは好きでやってるんじゃなくて、
先生にでもなろうかっていうね
先生にしかなれないとかね、そういう人がいるかもしんないね
いるんですよ、きっと、俺の目線からしたって
中村:
同窓会側が強いって、墨工同窓会ならではじゃないですかね
割と学校側のほうが強いところも多かったりするんですけど、
歴史なんでしょうかなって思うんですけどね
司茂幹事長:
僕らね、先生に強いなんて言ってもね、墨工の校長室行くとね、
初代の明治33年のアキオさん2代か、忘れたな
初代2代っていう人たちがね、えらかったんですよ、やっぱし
東京都の方針とか文部省の方針っていうのをいろいろ聞いて、
それで東京都の学校っていうのを作ってるわけだから
最初は本当力入れてやってたわけですよ、ものすごくね
さっき言った昭和30年の終わりとか40年になってくると生徒が増えて、
オーバーフローしちゃうから工業学校増やして、
普通科も増やして入れたけど
だって悪いけど中学でちょいとお勉強してこないとさ、
高校の教科書ってちょっと難しいでしょ
今、大学も授業料持つって言ってるけどね、年収がいくらの人に
だけど行きたくない人たちに金いくらやったってダメよやっぱり
腹減ってるところだったらご馳走もおいしいけど、
腹満腹の時にさ、ちょっと難しいね
これからの同窓会
中村:
これから同窓会続いていくと思うんですけど、
司茂さんも幹事長として活躍されていくんですけど、
今後の同窓会としてのビジョンとか夢とかやっていきたいこととか
こういうことは残していきたいっていうのはなんか
これからの同窓会についてなにか
司茂幹事長:
今やってるからねいろいろ
中村:
結構やられているんですね
司茂幹事長:
やってますよ
ものを言う同窓会にしたらいいんじゃない?学校に対して
学校なんて悪いけども悪くないな3年か5年で変わるんだから
こっちは卒業生、ずっと卒業生なの
中村:
意見を言うと、学校に対して
司茂幹事長:
そう、意見を言う
中村:
要求も言うと
司茂幹事長:
言う、それから各学校でね、
学校運営連絡協議会って東京都だけだか知りませんよ
学運協って言ってるんだけどね
その時に発言をするっていうことよ、学校同士の
学運協を作ってるっていうのは地域の人の声を聴いて学校を良くしようって
中村:
そうですね
司茂幹事長:
だけど行っててもなんもね、なんか言わない人がいるんだよね
いろんな資料もらってて
例えば生徒が全部で各学年で180人くらい入るんだ
そして卒業する時に何人になるかっていう
それを真剣に考えているか
学力がついていけるような子が来ないといなくなっちゃうわけだから
墨田なんてまだマシだって言ってるけどね
都立高校だって悪いとこいっぱいあるって言うんですよ
去年墨田157、180入ってね
だけど何割引きかになってるわけだよ
我々商売しててね、お客さんのね、8欠け7欠けになって商売回る?
中村:
そうですね
司茂幹事長:
回らないでしょう
だからそのためにはいいお客さんに来てもらわなくちゃいけない
そのためにはいい先生とかね
そう言うとすぐね「設備がうちの学校悪い」とか先生言うんだけどね
出来ない理由言うなって言うんだよ
サラリーマンやってて出来ない理由言ってたんじゃ
「もう明日から来なくていいよ、ご苦労さん」って言って肩叩かれるでしょ
学校運営連絡協議会って、
学校を良くしようと思うそういう会があったら発言することですよ
聞いたら簡単よ
何で生徒が減るのって聞いたらいい、先生知ってるんだもん
推薦入学の子のほうが学力が一般的に高いと、
一般入試の子は、今、都立の学校1クラス35なんですよ
推薦が3割五分とか3割、東京都の教育委員会汚いのがね、
自分たちが作った新しい学校は、
50パーセントくらい推薦入学で入れてるんですよ
墨田は35かな
だから35人のうち10人は推薦で入るわけですよ
残りの人25人は一般入試ね
僕はいつも言ってるんだけどさ、
25人のうちの5人くらい誰か入ったら倍率が120になるんだからね
中村:
でも学校に思入れがあるから意見が、先輩としてというか、
同窓会って学校の卒業生が集まるじゃないですか、先輩なわけですよね
そういう方がもっともっと発言していただくと学校も良くなるっていう、
だと思いますけどね
なかなか卒業しちゃったら関心がないとか
司茂幹事長:
学校の先生がちゃんとね、生徒の面倒見てればね、
ちょっとなんか考えるじゃない、思うじゃない
中村:
愛情の問題ですかね
司茂幹事長:
そうそう、このセンコーって言ってるよりも先生って言わなきゃ
それは教師の努力ですよ
昔は実験の器材だっていいものがなかったけどね
それでもちゃんとやってんだもん
中村:
今の先生を尊敬するとか先生が怖いっていうのが、
学校委員長が呼び捨てにしたりとかね、
先生の友達じゃないんだからとか思うようなところあるんですけど、
ちょっとそれが変わって来ちゃってるかもしれないですね
司茂幹事長:
それはね、蛍の光やってるでしょ、卒業式大体
仰げば尊しやる?
中村:
やってるところとやってないところあるような気がするんですけど
墨工やってないよ
仰げば尊ばないわけよ
ということは仰げば尊し我が師じゃない教えてもらったんだから
だけど聞かないは教えてくれた恩なんてないと思う
その辺りはね学校になんか意見を言うのと、
学校ももっと日和見的上ばっかり見ないで、教師なんだからさ
教員なんて言ってんだから悪い
中村:
師なんだから
これから同窓会に携わる人へ
中村:
これから30周年の学校だとか20周年の学校だとか、
新設校なんかがあったりして、これから同窓会を作っていこうとか、
これから初めて役員になりましたとか、同窓会の担当やるんですっていう、
これからの同窓会を運営される方に対してなにか大先輩として、
メッセージがあればなにか、役に立つような、先輩としての
なかなかそういうのが聞ける場っていうのはないと思うんで
20年も30年も携わって
司茂幹事長:
その人たちが学校にね、どのくらいお世話になったとかね、
ありがたいとかね、そういう感謝の気持ちがないとだめだと思うよ俺は
世の中1人で生きていけないしね、
先生に教わるからなんか出来るようになるんだってさ
それは教えるほうもちゃんと教えないとね
生徒になめられたら終わりだと思うんですよ
同窓会を良くしよう、これからっていうのはそういう
中村:
謙虚な気持ちでね
司茂幹事長:
それと1人や2人さ、
先生にお世話になったなっていう人いると思うんだよね、
いっぱいいるんだからさ、先生がね
そういう人たちにイメージを膨らませたらいいんじゃない
あの先生にお世話になったと
中村:
そういう人が役員にいるとうまくいくわけですね
司茂幹事長:
そうです
そうすればさ、先生の悪口だけじゃないじゃない、
3年や5年で変わるって、そんなこと言ってるけどね
その根元にはちゃんと
学校に先生にありがとうっていう気持ち持ってるから、俺がね
感謝の気持ちあるんです
それが大事じゃないでしょうか
中村:
学校良くしようと恩返しのつもりで
されているのかなっていう感じはしますね
司茂幹事長:
これってもっとね、自分が育った学校が、これから子供減るからさ、
もっと統廃合出てきますよ
その時に統合するほうはいいけど、統合されるされちゃうほうだとね、
高等工業だって高等工業っていう名前になってて
化学工業だって化学工業じゃないじゃない
そういう風にね自分の学校の名前がなくなっちゃうの嫌だからね
っていうことが、例えば福島で事故があって、
こっちに来たら故郷なくなっちゃってるような人いっぱいいるじゃない
それは多分寂しいものだと思うんだよね
育ったところね、だから教えてもらったところに感謝するっていうさ
どっちが先かわからないですよ?
先生が多分先なんですよ
先生なんだから、先に生まれてるんだからね
中村:
長いことお話をいただきましてありがとうございます
時間もそろそろあれなんで、最後になにかメッセージあれば、
どんなお話しでもいいんですけども
もう長いことされていての感想でもいいですし
司茂幹事長:
卒業した人の名簿とか、みんな最近、町会でもね名簿なくなってるじゃない
中村:
個人情報でね、墨田工業さん毎年作ってますよね、きっちり
司茂幹事長:
それちゃんと言ってるから、俺が行って
中村:
あれも反対意見も結構あると思うんですけど、ちゃんと100年110周年、
節目には同窓会名簿作られてますよね
司茂幹事長:
あとは薄いやつ出してるでしょ
あれ作っとけばさ、やっとけばね
中村:
そこもすごいと思うんですけどね、
結構作らなくなっちゃってるところが多い中で
司茂幹事長:
それも話し方じゃないのかな、生徒に対しての説明
同窓会入会説明会っていうのやってるの
中村:
それはどんな風な説明何ですか
司茂幹事長:
墨田工業高校の校歌、ナカダアキラって言う人がやってるんですよ
ナカダヨシナオのお父さん、この人はいろんな歌作ってるんだよね
その校歌の話、校歌のCDを入学した人たちにあげてる
それを入学した時に慣れればさ、音楽でなんかやるかもしれないけどね
学校の催事には顔を出す
体育祭、文化祭、卒業式、入学式、一石打つ
中村:
同窓会として?
司茂幹事長:
同窓会として
中村:
これから生徒さんにはどんなメッセージを伝えるんですか、同窓会からは
司茂幹事長:
同窓会から入会説明の時は、みなさんが入った時に、
あの有名なナカダアキラさんが作った校歌みんな知ってる?
みんな忘れてるやついるからね
その話をする
それから同窓会なにしてる
「卒業の時には、卒業名簿と記念品をあげてるよ」っていう話ね
それと同窓会名簿で君らの先輩がどっかの会社に行ってる
自分の入った会社に先輩がいたら先輩のところに
先輩よろしくって行けって俺言ってるのね
そういう良さもあるよと
先輩はね、後輩からどうもって言われたら悪い気しないと、
墨高は縦の社会なんですよ
1,2,3,4,5って5クラスあって、鳳凰、白虎、玄武、麒麟、青龍とね、
青龍団とか、俺は4組麒麟団、麒麟団っていう縦の列があって、
そういうのがあって電気課だったら玄武と麒麟があるからね
だから同じ3組のやつは玄武の先輩のところに行けばいいじゃない、
どっかの会社に入って
中村:
3組は3組の先輩、後輩も縦のあれがあるわけですね
司茂幹事長:
だから体育祭でガンガンやる
中村:
珍しですね
司茂幹事長:
俺らもだいぶしごかれたんだけどね
それと入学した時にいろいろやって、僕ら入った時は、
通りで菊川の駅から三ツ目通りを学校の方に歩いて来た時に
先輩方に会って、俺は知らないからさーっと歩いて行ってね、
ある日突然昭和31年ですからすごいですよ、
さらし巻いて、木刀持ってくるんだからね
当時は卒業出来ないで、落第する人もいるわけよ
18で卒業するのにさ、20歳ぐらいのやつもいる
そうするとお兄ちゃん、おじさんみたいな人
「お前ら俺たちにあいさつしたか、なんでお前返事しないんだ、
あいさつしたかしてないか聞いてんだ」とかって
「すいません」って
「なんでしないんだって」って言って
「世の中出たらね、先輩、お得意先、上司とかと頭下げるんだ」と、
それの訓練だとかなんとかって言われてさ、
俺らも本当に菊川の電車の停留所の学校に来るとき、
俺たち通るとき「こんちは」、「おはようございます」とか言って通った
そうするとね、今いいのがね、
墨工の生徒ってすごく就職率いいって言うんですよ
いいの確かにね
それは、あいさつができる、行った時に
先輩も後輩もいる、あいさつする、ですごく良いというね、話し
それと物怖じしないようになるんです
体育祭で応援歌っていうの歌わされるわけ
でっかい声で、声がちっちゃいと僕らなんて北側の屋上に行って、
当時ね座ったら足がしびれちゃうよね
そんな風にやって、縦のね、わかる最初嫌だなって思ったけどね、
体育祭の時にあっちの麒麟団はすごいのに青龍が全然歌わなかったら、
応援合戦で負けるわけだ
コラって言ってね、外ででっかく言う
俺も墨田に入って大きい声出せるようになりましたよ
中村:
社会に出ても先輩、後輩がちゃんとわかるようにとか、
後輩だとか先輩とか、そこでつながりが出来るのがすごいいいですよね
司茂幹事長:
だから戦前はもっとすごくてね
東芝会とかね、横河電機の横河会とかね
中村:
会社ごとの
司茂幹事長:
会社ごとの先輩、後輩がずっといるわけ
中村:
可愛がってもらえて、後輩も得ですよね
司茂幹事長:
ごますったら、いっぱいご馳走になれるしね
そういうすごく引き上げてくれるとか、同じくらいのやつだったら、
そいつに良いのあげてやろうかってなるじゃん、みんな
先輩だからちゃんと仕事しろって言ったってさ
中村:
同窓会ならではのメリットですね
司茂幹事長:
そんないろんな相乗効果があるんだですよ
だから墨工の体育祭なんて見に来られたら楽しいと思う、すごいから
中村:
墨工の同窓会ならではの風土っていうか文化っていうか、
良いじゃないかと思いますね
司茂幹事長:
100周年の時かな、応援合戦やるときにね、平場でやってたんだよ
それを建築の先輩のサイトウさんって昭和16年の人かな
その人はトダ建設かどっか行っててね、工事現場の足場を何段にすると、
「よし、それ俺がどっか探すから」って探してくれてね
麒麟は黄色、白虎は白、青龍は青、鳳凰は赤とかね
そういうパイプを単管パイプを色塗ってくれて、
応援合戦する時に段々になるわけ
すごく見えるじゃない
そんなことやってくれたりね
先輩も文句しこたま言うけど、ちゃんとやってくれるんですよね
「君らには任せられない」って、
建築屋だからさ、出入りの業者いるじゃない
「なるべく金ないから安く」「お前らに言われなくてもわかってる」って
そんなサイトウさんもこの間亡くなっちゃったけどね
そういう人たちがいて
中村:
本当にどうもいろいろ長いお話しありがとうございました
なかなか社会に出て先輩、後輩役立つとか、同窓会がね
恩師への思いとか、感謝の気持ちだとかいろいろお話聞かせていただいて、
役立つお話をいただきありがとうございます
本日は墨田工業高校の墨高同窓会の幹事長を20年以上されている、
司茂政勝さんに来ていただきまして、お話しいただきました
今日は本当にありがとうございました
司茂幹事長:
ありがとうございました、どうも